[もけの部屋]色々な持論

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  2. 決して自分の思い通りにはならない存在(03/13)
  3. 推奨しない自己肯定感を得る方法(03/11)
  4. 踊る阿呆は何を見て生きる(03/10)
  5. 医師のことを頭から信じたりしない(02/17)
  6. 人は自分の手駒ではない(02/13)
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決して自分の思い通りにはならない存在

2009.03.13(18:23)
自分とは違う意見の人や、違う選択をする人を、批難したり、排斥しようとするのは何故なんだろう。

人は、毎日のように、他人を通して自己を確認している。
他人の中に、自分を見る。
他人との差異から、自己を確認する。

あやふやな存在の「私」は、人の目を通すと、確かな存在として浮かび上がる。
ぼんやりとした輪郭を、確かめることが出来る。

自己は、無意識に一定の方向へと動いている。
思考は、型通りのパターンで回転する。
何故なら、その方が楽だから。
反射的に自動で動けるから。

目の前に、自分とは違うパターンを見付けると、拒否反応が起こる。
それは、頭の中の一定のリズムを崩す、不協和音だから。

不安定な自己を支える思考体系を脅かす存在は、否定せずにはいられない。
そして、自分が選んだ思考を、より強化してくれる存在を見付けて、肯定感を強めずにはいられないのだ。

それが、自己を保つことに繋がるから。
安心な場所を確保できるから。

「私を肯定して欲しい」という思いは、誰しも持っているものだ。
それは、度合いによっては、悲劇を生むこともある。

他人との距離をどう保つかによって、人生の中身は大分変わるのだろう。
他人の存在は、生きていく上でどうしても避けられない問題だ。
他人に対して、自分がどのようなスタンスを取るかを、日頃から考えておくのは大事なことだと思う。

他人に肯定してもらわなければ、自己は成り立たないのか。
他人に受け入れてもらえなければ、自己は肯定出来ないのか。
自分自身で自己を肯定する方法も含めて、一度は考えてみても良い問題だと思う。

そして、それはまた、自分とは違う存在を認める勇気にも繋がると思うのだ。
このことについては、改めてそのうちまた記事にしたい。
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推奨しない自己肯定感を得る方法

2009.03.11(15:23)
自己肯定感を得るには色々な方法があるけれど、ふと、一歩間違えると危ない方向に行きそうなケースを考えてみたので、載せてみる。
(※特定の誰かを想定したものでは決してありません。もし気分を害した方がおられましたら、申し訳ありません。)

1、他人からの賛同をやたらと欲しがる。

他人から受け入れられ、共感や称賛、また同情などを受けると、自己評価が高まる。
やり過ぎると、他人の評価を気にし過ぎて自分を見失ったり、他人に構って欲しくてなりふり構わなくなったりする。

2、権威ある人の意見を振りかざす。

著名人や有名人、また頭の良さそうな人の意見や言葉を拝借することにより、自分もその人と同じような立場になったような錯覚を起こす。
単に狼の皮を被った羊であったりする。

3、他人をおとしめる。

他人をあえて低く評価することにより、自分の方が高い位置にいるのだと錯覚が出来る。
色々な犯罪や差別などの問題も、これに当たることが多い。

4、自分より不幸な人を見付けて蔑む。

自分より不幸そうな人達を見て、自分の方がマシだと慰めたり、安心感を得ることが出来る。
低俗な雑誌や、くだらない噂話などでもよく見受けられる。

まだあるかもしれないけど、時間がないので、今日はこの辺で。
要は、不安の裏返しであり、安心感を得たいということなのだろうと思う。
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踊る阿呆は何を見て生きる

2009.03.10(16:51)
粗探しをするのも、不満を見付けるのも、簡単だ。

人と比べて劣っている箇所も、すぐ見付けることが出来る。

でも、物事には、悪い面もあれば、良い面もある。

私は、悪い面ばかりではなく、良い面を見るのが好きだ。

どうせ生きるなら、素敵なことや、楽しいことに目を向けたい。

人に対しても、良いところを評価したい。

全てを良い風に見ることなんて出来ないことは、よく分かっている。

ただ、同じ見るのなら、良い面も見たいと思うだけだ。

同じ物事でも、見方で全く解釈は異なるのだから。

阿波踊りに、「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損。」というフレーズがある。

私は、同じ阿呆なら、思い切って踊って、楽しく生きたいと思う。

人生に喜びをたくさん見付けて、分かち合いたいと思う。

人間は、常に何事かを問い掛けられ、選択をしていく存在だ。

逼迫した事態でもない限り、たいていは自分自身でどうするかを選ぶことが出来る。

運命は誰にも分からない。

運命を嘆き、見えない不安に怯えるよりは、運命を受け入れて、見えない希望を見出だしたい。

出来ないことを見付けて憂い煩うよりも、出来ることを見付けて伸ばしていきたい。

そして、人生が出す数々の問い掛けに、自分なりに精一杯応えたいと思う。

これは、単なる私のささやかな願いである。
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医師のことを頭から信じたりしない

2009.02.17(13:18)
(※また偉そうに長文で語ってるパターンです。自戒の意味も込めてます。誰かに対して、ということはありません。不快になられた方がおられましたらすみません。えっと長いので無理に読む必要は全くありません(汗))

タイトルの医師の部分は、たまたま医師にしただけで、学者でも、マスコミでも、親でも、友達でも、赤の他人でも、なんでも可です。

私は、子供の頃から、割とうたぐり深い性格で、何か言われたり学んだとしても、一度自分なりに吟味して頭の中で定義しなおさないと気が済まないようなところがあって、引っ掛かるとひたすら考えちゃったりする。
こういう所を、昔は哲学的なのかと思ったりしていたけど、今は単にそういう性癖なのだと思っている。
他の人が、そんなの考えたって仕方ないと流すことも、一々考えたりしていたので、話が合わないんだ、これが(笑)
そうかと思うと、大事なことは考えてなかったりする。
大学受験の時でも、大学のことに興味なくて全然調べないし、六大学が何かとか未だに分からない。
(何度聞いても忘れる。)
つまり、興味あることしか考えてないってことか。

って、また話が脱線しそうだから戻すけど、私はどんなに有名で有能な医師(その他諸々)だろうと、盲目的に信用したりしない。

昔、ちょっと珍しい病気に罹った時に、その病気を診察出来る医師が少なくて、患者が全国から数人の医師へ殺到をしていた。
その時、その中でも割と有名な医師がいて、私はたまたまその医師が主治医だったんだけど、周囲に信者みたいな患者が沢山いた。
皆、他の医師に否定されたり、病名が分からず、治らず、困り果てて辿り着いた人ばかりだから、まずは医師にその病気だと認めてもらった段階でほっとするらしい。
その医師は、患者の目を見て話をじっくり聞いてくれるタイプで、他の医師から話もろくに聞かないでぞんざいな扱いをされてきたような患者は、そういう点でも心をわしづかみにされるらしい。

患者の中には、その医師を「神」だと言う人達までいて、その医師の言うことは絶対で、その医師に否定的なことを言う人は敵であり、その医師を全面的に信頼していた。

私は見ていて恐いと思った。

私はその医師に対しては、有名な医師といえどもただの人だし、間違えることだってある、と割と冷めた目で見ていたのだが、しばらくして、ある事情から違う医師に診察を受けた所、その有名な医師に医学的に少々誤っていると思われる箇所があるということを知った。
また、医学界も色々あって、あまりあからさまに批判出来ないということや(非常に日本的だな)、色々と背景などもあることを知った。

私はその後、その有名医師からは離れて完治したのだが、こういう話を他の方に知らせても、その有名医師への信望は変わらないようであった。
そして、予後があまり良くない方も結構いたりした。
(その医師の治療がどうこうという訳ではなく、もしかしたら違う医師の元で違う治療をしたら良くなる可能性もあったかもしれないということ。病気というのはそう単純なものでもないので。)

確かに、その有名医師にも良いところはあるし、お世話にはなった。
だが、その医師だって間違えることはある。
ただの人間だもの。
神なんかじゃない。

でも、信じ込んでいる人達に、何を言っても焼け石に水である。
逆に、あまりしつこく言うと、恨まれることもある。

これは、カルト集団とかでも一緒だし、そこまで大袈裟にいかなくても、マスコミの言うことを頭から信じてしまったり、肩書が立派な学者の言うことを鵜呑みにしたり、その道のプロらしき人の言うことを真に受けたり、親の言うことは正しいとか、良さそうな人だから嘘は言っていないなど、日常では、よく見掛ける光景なのである。

誰々さんの話なら信用出来る・・・そう思ってしまうことは多いし、ある程度信頼をしないとやっていけない面はある。
でも、誰だって間違いは犯すのだ。

その人の全ての発言を鵜呑みにするのは、危険なことなのである。

良いところだけを参考にするのは良いが、悪いところまで取り入れることはない。
情報の選択は難しい問題ではあるが、知恵を持っていないと、簡単に騙され流されてしまう。

まずは、疑うこと。
そして、反対意見にも触れること。
それから、様々な意見を吟味し、検討すること。
人にアドバイスを求めることも大事だ。
検討した結果、信じて取り入れても、いつも違うかもしれないという可能性を頭に入れておくこと。
そして、もし間違っている可能性に気付いたら、勇気を持って軌道修正すること。

また、無知であることは罠にはまる可能性が高く、知識を身につけた方が良いことは言うまでもない。
段々と慣れてきたら、何が自分にとって良いのか分かるようになってくるものと思う。
直感を信じてみても良いが、直感だけを信じるのは危険である可能性もあることを覚えておいた方がいいだろう。

色々と言ったけど、一番大事なのは、気付いたらいつでも軌道修正が出来る柔軟さかもしれない。
また、人を信じる気持ちは大事なことだ。
要は、その「程度」が問題だと思うのである。
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人は自分の手駒ではない

2009.02.13(19:58)
※またもや長文語りモードです。
自分のことは棚に上げまくって偉そうに語ってますが、自戒の意味も込めて書いています。
誰かを想定している訳でも、誰かに向けてのメッセージでもありません。
もし気を悪くされた方がおられましたら、申し訳ありません。
好き勝手に言っているだけなので、どうぞ無視して下さいませ。
それと、内容を詰め込み過ぎて、ダラダラと長くなってしまっているので、無理に読む必要は全くありません。
勝手ばかり言ってすみませんが、よろしくお願いいたします。
(この前置き、一々要らないのかもしれませんが、一応載せておきます。)

これは発達障害に関わらず、前々から思っていたことなんだけど、他人が自分の意に沿わない言動を取ると、すぐに、怒ったり、不満を言ったり、愚痴を言う人間って、世の中に割合と多く見掛けるものだ。

でも、思うのだ。
そもそも、他者というものは、自分の予測や願望とは違う言動をする存在だろう?

何故人は、自分とは違う存在や、自分の意見に沿わない相手を、すぐに、否定したり、非難したり、排斥しようとするのだろう。
(これは、歴史的にも、繰り返し起こっていることだ。そして、犯罪の原因にもなる。)

私が結婚して一番に改めてしみじみと学んだことは、「人は自分にとって都合良く動く存在ではない」ということだ。

昔、とある事情が生じた時に、参考までにと主婦が集まる掲示板を覗いてみたら、旦那が自分の思い通りに言動してくれないとか、自分の気持ちを解ってくれない、と愚痴をこぼしている人達が沢山いた。
自分には、なんだかよく分からなかった。
だって、そもそも相手が自分の思惑通りに言動してくれる訳なんてないし、エスパーじゃないんだから言わなきゃ気持ちなんて解る訳がない。

相手に要望があるなら、まずは言わなきゃダメだ。
言わなくても分かるなんて、そんなの幻想だ。
言ってダメだったとしても、言い方や、態度や場などのシチュエーションを変えれば、多少解ってもらえるかもしれないし、譲歩してくれるかもしれない。
そして、もしどうしても解り合えないのだとしたら、それはしょうがない。
往々にして、そういう行き違いは起こるものだ。
ある程度の諦めは必要だし、それに堪えられないなら関係を解消するしかない。
(全てを解り合えるなんて幻想だ、と私は思う。)

そして、人間関係はギブアンドテイクで成り立っている面もある。
求めるばかりでは、ダメなのだ。
あなたは、相手のことを解ってあげられているのか?
あなたは、果たして、相手の気持ちを尊重し、相手の求めることをしてあげているのか?
どちらも一方的であれば、片方に負担がかかり、破綻してしまうのではないか。

こういうことは当たり前のことだと思っていたのだが、そうでもないらしい。
もしくは理屈では解っていても、感情が抑えられないのか。
確かに感情とは厄介なものだが、どうか、まずは一呼吸置いて、少しでいいから考えてみて欲しい。

ちなみに、私はその主婦が集まっている掲示板に、このような内容を語った訳でも、説教じみたことを書いた訳でもないのだが、流れとは少し違う意見を書き込んでみたら、女の気持ちが分かってないからネカマに違いない、などと非難をされてしまった。
(その後、別にもういいや、と思って反論せずに立ち去りました。)

立場が違えば、見解が違うのは当たり前だろう。
性格や、考え方、経験や知識は、皆それぞれ違うのだから。

そして、違うからこそ、世の中は面白いのだろう。
違うからこそ、世の中は素晴らしいのではないか。

自分と違う意見や考え方だからといって、余程人道的にひどいとか、犯罪性があるという訳でもないのに、すぐ頭から非難をするというのはどうかと思うのだ。
そして、いくら非難したからといって、その人がその後自分の思い通りに言動をする訳でもないだろう。

自分と違う見解や立場といえど、基本的に人として尊重すべきだし、もしかしたら、その人の見解から学ぶこともあるかもしれない。
また、一部に意見の相違があるからといって、その人と意見が全て違うという訳でもあるまい。

違う意見に触れるのは、成長のチャンスでもあると思う。
自己を省みることが出来たり、相違から自分の特徴を知ることも出来る。
または、自分の思い込みに気付くかもしれない。

違いを受け入れることは難しいのかもしれないけれど、排斥をすることは、お互いの成長の機会を奪ったり、独断に陥ったり、といった負の面があると思う。
また、もし受け入れるのが難しいのだとしても、自分と違う人間を見掛けても、そっとしておこうとすることも出来るはずだ。

そして、もしその人に対して自分の意見を言う場合には、怒りや非難の感情任せにしたりせず、その人に対しても、人としての尊厳は持ちながら、冷静に(出来れば論理的に)行ってみて欲しい。
頭から決め付けたりしないで。

怒りには怒りが、笑顔には笑顔が返ってくる。
これは、接客業をしていた時に、学んだことだ。

人に勝手に過剰に期待をしても、裏切られることは多い。
人とは、そうそう自分の思い通りには、動いてくれない存在なのである。
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プロフィール

空海もけ(そらみもけ)

Author:空海もけ(そらみもけ)
ADHDの鍼灸師。面倒臭がり屋でふざけるのが大好き。着ぐるみ脱ぎました。
(詳しくはカテゴリーのプロフィール欄を参照。)

もち
・もち
もけの夫。
背が高くてよく食べる。
お煎餅が大好き。

ゲコ
・ゲコ
近くの川に住む蛙。
よく合いの手を入れる。
留守番もしてくれる。

ポンチン
・ポンチン
もけが実家で飼っているマルチーズ犬。
(本当はふわふわモコモコ。)
一緒に住んでいないが何故か登場する。

※漫画の内容は、事実を元に多少脚色してあります。

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