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「心の理論」の問題について
より分かり易くするために、「心の理論」の検査で使われている『サリーとアン課題』を例に出して考えてみたい。
『サリーとアン課題』
1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
2.サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
3.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
4.サリーが部屋に戻ってきました。
5.「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。
正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。
これに正解するには、「自分」は「他者」とは違うということがまず分かっていなくてはならない。
それには、「自我」が形成されていることが、前提条件である。
「自我」が形成されているからこそ、自分と他者との区別が出来るようになり、他者の視点に立てることが可能になると思われるのだ。
(サリーとアン、それぞれの立場を切り離して類推し、その視点に立つことが出来る。)
そして、「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」には、言葉も必要なのである。
言葉の獲得により、類推する能力は高まり、他者という存在や、ひいては社会の成り立ちなどが、より頭の中で理解出来るようになるからである。
ただ、単純に自我を持ち、言葉を獲得していたとしても、この検査に合格出来るとは限らない。
たとえ自分と他者の視点の違いを想像出来る能力を持っていたとしても、それを論理的に秩序立てて考えられないと、正解を導き出すのは難しいかもしれない。
思考がすぐに混沌としてしまうような子には、難しい検査になると思われるのだ。
それからまた、色々と気が散り易かったり、細部に囚われてしまう子にも、難しいものとなるだろう。
長くなったが、特に言いたかったことは、「心の理論」に合格出来なかったからといって、「心」が無いという訳ではないだろうということだ。
もしそう解釈されている方がいたとしたら、そのようなことはないのではないかと、言いたかったのである。
自閉症児でも、「心」はちゃんとある。
(ここでいう「心」の定義は、また長くなるので次回で触れます。)
ちなみに、アルペルガー症候群の人達は、言葉に遅れのある自閉症の人達に比べて、心の理論の成績が良好であり、いくつかの研究では、アスペルガー症候群の人の中に、心の理論に欠陥のある人は、ほとんどか、全くいなかったという報告もある。
(言葉に遅れのある自閉症の人でさえ、心の理論について定型と差異がなかったという報告もあるぐらいだ。)
