2009年03月

  1. スポンサーサイト(--/--)
  2. スカウトされた!(03/30)
  3. 私の旦那の愛し方(03/27)
  4. 眩しいの訂正!(03/26)
  5. 画面が眩しくて(03/23)
  6. 概念的な世界と具体的な世界(03/20)
  7. 診断名と人格は別なものだ(03/19)
  8. 発達障害名は免罪符ではないはずだ(03/18)
  9. 情報の選択能力(相手の意図を読み間違えるのは何故なのだろう)(03/17)
  10. 秩序の大切さ(音楽と演劇の効用)(03/14)
  11. 音楽と共に(03/13)
  12. 決して自分の思い通りにはならない存在(03/13)
  13. 推奨しない自己肯定感を得る方法(03/11)
  14. 踊る阿呆は何を見て生きる(03/10)
  15. 言葉と概念化とリアル(03/10)
  16. 感覚とドーパミンとてんかんと自閉症(03/09)
  17. またもや夢中にーーー!!!(03/06)
  18. ドーパミンでハイテンション☆(03/05)


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スカウトされた!

2009.03.30(15:50)
この度、旦那が会社経由で入っている生命保険に私も入ることとなり、生命保険会社の方がわざわざ家まで来て、一緒に指定の病院へ行って、審査に必要な検査を受けることとなった。
で、この間、家まで来て頂いて(旦那も同席)、病院の検査は無事済ませたので、あとは審査を待つばかりなんだけど・・・。

この生命保険会社の方が女性の方で、とても気さくで感じが良く、笑顔の素敵な話し易い方で、好印象だったんだけど、この方に、突然うちの会社で働かないかと、スカウトをされました。

どうも、私のことを良い評価をして下さったみたいで、明るくてとても感じが良いからと、会社へ誘って下さったのでした。

生命保険の仕事というのは、求人をかけてもあまり人が来ないので、こういう風にスカウトをすることも多いらしく、この方も昔スカウトをされて入社したそうです。
(大変そうなイメージあるもんねー。)

いや、いきなりでビックリしたけど、印象が良いと言ってもらったのは、正直嬉しかった。

私はとってもお喋りなんだけど、いつも話さないようにしようと思っててもつい喋ってしまって、まぁこれも相手や場によるんだけど、この生命保険の方がとても感じが良く話し易かったので、またペラペラと余計なお喋りをしていたのだが、「そんなにお喋りできるのも才能だ。」と言って下さって、そんなこと言われたの初めてなのでビックリした。
頭の中で、黒柳徹子や、ADHDという文字がぐるぐるしたけど、話がややこしくなるので言わないでおいた(笑)

でも、昔、人付き合いがとても苦手で苦労していた私が、「明るくて、楽しくて、友達もすぐ出来そうですよね。」なんて言われるようになったというのも、感慨深いものがありますなぁ、ほんと・・・。

これには、今までしてきた接客業の経験が、とても生かされているように思うんだよね。
人見知りが激しくて引っ込み思案だったので、学生時代にバイトを始め出した当初は、レストランで「いらっしゃいませ。」って大きな声で言えなくて、注意されたりしてたぐらいだった。(今なら大声で言えるぜぃ!)

その後、他のバイトで、いろんな店に30店舗ぐらい派遣として行って、色々な人に出会って、電話応対とかも鍛えられて、失敗も多々あったけど、本当にあの時の様々な経験が、今生かされていると感じます。
昔の私が、今の私を見たら仰天するのではなかろうか。

学生時代、当時の彼氏とその友人達とでバーベキューに行っても、人や集団が大の苦手で、ムスっとして喋らないような人だったのが、嘘のようです。
(かなり感じ悪かったと思う。その後、元彼とは大喧嘩をした(笑))
余談だけど、仕事先でも、嫌だと思ったことは絶対にやらない、かなりの頑固者でした・・・。
(これで何回かトラブルを起こした。今なら出来るようなことが、当時はどうしても出来なかった。)

年を重ねるのが素敵だと思えるのはこういう時だ。
昔は無理だと思っていたことが、経験や知識を重ねていって、学習して出来るようになる。
昔はしんどく思えたことが、慣れると軽くこなせるようになったりする。
大ごとに思えていたことが、大したことはないと思えるようになる・・・。

失敗は辛いけど、本当に成長の糧になるのだな、と心から思う。
そして、人生は、先のことなんて本当に分からないものだ、と改めて思うのであった。

あ、生命保険の仕事は、旦那にすぐに無理じゃないかと突っ込まれました。
仕組みが結構複雑で、私はそういうのに興味無さそうだし、たぶん覚えられないって(笑)←まぁ確かに・・・。

(追記)
もちろん、スカウトは誰にでもしてるのかもしれないし、お世辞で褒めてくれただけなのかもしれないけど、それでも嬉しかったのでした。
その方自身が、とてもフランクで感じの良い方だったしね(´ー`)

(更に追記)
この後聞いた話では、旦那の会社の同僚の奥さんもスカウトされていたらしいです(笑)
誰にでもしてるのかは分からないけど、やっぱあんまり人が集まらないのかもしれないねー。
まー、面白かったからいいです、はい(笑)
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私の旦那の愛し方

2009.03.27(13:54)
えー、今回は特にくだらない話ですが・・・。

他の方はどうだか分からないのだけれど、私、旦那のことを、多分かなりマニアックに愛しております。

どういうことかというと、旦那の匂いと感触を、こよなく愛しているのです・・・。

いや、人格とかノリの良さとか、そういうのももちろん好きなんだけど、手などで触った感触と、匂いがもうたまらないのですわ。(はうぅっ!)
母に話したら変態だと言われましたが。
(旦那にも言われてます・・・。)

付き合う前から知り合いだったので性格などは知っていたんだけど、初めて二人きりで会った時、一緒にいる雰囲気もとても良かったのだけれど、もう触った感触に仰天したのでした!
とーーーっても気持ち良かったのであります。
もー、めっちゃハイテンションになりました!(笑)

こういうの理屈じゃないんだよねぇ。
私、治療中も色々手に感じるんだけど、似たような感じかな。

で、こういう人って滅多に巡り会えないもんだと思うんだけど、もう今や毎日のように、あちこち触ったり、匂いを嗅いだりして、癒されているのであります。
手触りも、匂いも、場所によって違うからねぇ。
うふふ。。。
(ちなみに、もみ上げと、眉毛と、首の後ろのところの匂いがお気に入りです。外出中も臭いを嗅ぐと落ち着くので、嗅がせてもらったりします。旦那がいない時は、服の残り香を嗅いだりする・・・。感触はね、手だけじゃなくて、耳とかあちこちで感じるのも楽しいものですよ、これがまたほんと。)

ちなみに、実家で飼ってる愛犬も、毛がふわふわモコモコ系で、手触りと匂いがたまらないんだけど、そういう存在は、この愛犬と旦那だけだ。
この犬が、犬臭かったりもするので(獣臭?)、旦那は自分も臭いのかと複雑な気持ちらしいです(笑)

ぬいぐるみのモコモコしたのも癒されるけど、匂いはないからねぇ。
(いや、ぬいぐるみ臭はするんだけど、特に萌えないというか・・・。)

で、なんとはなしに、この愛犬のことを、以前から自然と「バフー」と心の中で呼んでいたのだが、旦那のことも「バフー」と呼ぶようになりました。
自分にとって、可愛くてたまらない癒し的存在は、「バフー」となるらしい。
ぬいぐるみにも無意識にバフーという言葉が浮かんだりする。(意味不明)

しかし、ぬいぐるみや犬は「バフー」と呼びかけても返事をしてくれないが、旦那は返事をしてくれるので、嬉しい限りである。
旦那には、長生きしてねと言ってある。
うーん、本当に「バフー」は私にとって癒しなんだなぁ。
(でも、旦那、年取ったら過齢臭するのかなぁ・・・。)
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眩しいの訂正!

2009.03.26(15:05)
前回、パソコンの画面が眩しいって話を書いたけど、私、間違っておりました!
どうもすみません!訂正いたします!

コントラストがはっきりした画面は、読みづらくて、とても疲れてしまう・・・と書いたんだけど、あれから試しに色々とサイトやブログを巡ってみたら、どうやら単純にそういう訳でもないらしい。

つまり、白い背景に黒い文字などでも、見やすいところもあるのである。
なんでしょ、レイアウトや文字の大きさとかの問題なのかなぁ?
それともごちゃごちゃ具合?
よく分からん・・・。

いや、画面自体が眩しいのは眩しいのだけど、そう気にならない所と、とても気になる所がある訳です。
その日の体調とかの影響もあるのかもしれないな。

で、自分のブログも色々と背景や文字の大きさなどをいじってみました。
これからも気になったらいじる予定。

あと、明るい色の背景に、薄い色の文字も見にくいもんなんだね~。
暗い色の背景に、明るい(薄い)色の文字もキツイもんだけど。
要はバランスってことか。

色覚異常の方だとまた見え方が変わってくるし・・・。
難しいもんなんだな~。
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画面が眩しくて

2009.03.23(13:10)
うちで使っているパソコンは、旦那の所有物なんだけど、モニターが古いせいか、画面が結構見づらい。
そのせいも多少あると思うんだけど、私、ちょっと視覚が過敏なところがありまして、パソコンの画面が眩しくってしょうがない。

白や蛍光色など眩しい背景のページは、目がチカチカしちゃって、長い文章などは集中しないと、字が頭に入ってこない。
更に字が小さかったりすると、もう大変だ。
明るい背景でも、字の色が薄めならまだ良いんだけど、白い背景に真っ黒な小さな文字などは、実は結構気合を入れないと、読めなかったりする。

コントラストがはっきりした画面は、読みづらくて、とても疲れてしまうのであります。
どうしても読みたいのだけれど、かなりの長文だったりした場合は、最後まで読んでいられないので、プリントアウトをして読んだりもする。
ウェブ上の記事は、ほとんどが白い背景に、真っ黒な文字だからね~。
(それか携帯から見ます。)

それから、色や画像がごちゃごちゃと多く使われているのも目がチカチカしてしまう。
背景の柄や模様が、複雑でハッキリとしたものや、ごちゃごちゃした柄とか、コントラストがきついのなんかも、苦手だな~。
ビカビカ光るのなんかも、ほんとダメ。
目が疲れるというか、もう痛くなってくるよね。

外出しても、眩しいのは苦手なんだけど、蛍光灯の明るすぎる店内とか、結構キツイ。
電気屋とか薬屋とか、明るいし、うるさいしで、ほんと苦手だ。
あんまり明るいと、ただでさえ狭くなりがちな視界が、さらに狭くなって、周りがよく見えない状態になる。
ごちゃごちゃしていて、色とりどりに溢れた物が多かったり、人の話し声や店内放送や音楽がうるさかったりしたら、もう最悪である。
頭の中は混乱し、情報がシャットアウトされて、見えない状態で自動運転で動く感じになってしまう。

アスペルガー症候群の方々なども視覚過敏の方が多いように思うんだけど、当事者の方でもコントラストがはっきりしたサイトや、色が多用されていたり、黒や白い背景のところなどもよく見掛けるので、これはやはりパソコンのモニターの性能の影響が大きいのかとも考えている。
個人差がかなりあるんでしょうけどね(汗)

パソコンの画面を暗くすれば良いのかと今日気がついたんだけど、やり方がよく分からないので後で旦那に聞いてみよう。
変にいじると怒られそうだし。
なんせ、私、実家のパソコンを2、3回程ぶっ壊しているくせ者だからね~(笑)

余談だけど、新宿西口のヨドバシカメラの明るさは、半端ないよ!マジ!
行ったことのない方は、夜に新宿へ来た際には、遠くからでもちょっと覗いてみて下さい。
(って、わざわざそんなん行かんって!)
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概念的な世界と具体的な世界

2009.03.20(18:23)
どうやら大多数の人々は、この世界を概念的に捉えているということらしいのだが、これは私にとって大事なキーワードだということに、改めて気が付いた。

以前にも触れたが、私も概念的な世界を、知識として理解することは出来るし、社会生活ではそのように振る舞っている。
もし目の前の情報を細部まで細かく全て受け取って処理していたとしたら、情報処理には多大な時間と労力がかかるであろうし、その場で大多数が取るべきであろう選択(行動)まで到達するのは難しくなり、日常生活はスムーズに進まないだろう。

通常、外部からの情報は、細部をぼかして大まかに把握できるよう、脳が勝手に選択し、処理をしてくれる。
(自分の好きな情報を、無意識に選択して、受け取っていたりもする。)
これは、発達障害者であっても、能力には個人差はあるだろうが、ある程度行われていると思われる。
でなければ、基本的な日常生活を行うのですら、かなり困難になるだろう。

最近、発達障害に関わらず、大多数の人々は、やはり概念化された世界で生きているのではないだろうかと感じている。
知能がある程度ある者は、言葉で形容し得るような概念的な世界に生きているように私には見える。
(もしかしたら、その状態は本人にとって不本意なのものなのかもしれないし、概念的と具体的の二重の世界に生きているのかもしれないが、そういったものは、外からは計り知れないものである。ちなみに、私も二重の世界で生きているのだと思う。)

だからこそ、人間関係で悩んだり、概念的な幸せに一喜一憂したりするのではないか。
自己を他者と比較して、安心したりするのではないか。

しかし、人間とは、本来概念的な存在なのであろうか。
社会は、概念的なものでのみ成り立っているのであろうか。
私にとっては、本質的にはそうではない。

これは、言葉で言い表すことは、大変難しい。
ただ、概念的な世界しか知らないなんて、つまらないと私は思う。
直接的、具体的な世界を感じられないなんて・・・。

でも、知らなければどうってことはないだろう。
人は、それぞれが皆、違う世界に生きている。
人間の数だけ、世界がある。
それらは、一瞬交わったように思えても、決して交わることはない。
生まれてから死ぬまで、人は自分の世界の中だけで、独りで生きているのだ。

外の違う世界を知りたい欲求はとてもあるけれど、私の世界も大事にしていきたいと思う。
しかし、皆が何の為に、何を根拠に生きているのか、私には大いに謎に思えてならない。
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診断名と人格は別なものだ

2009.03.19(13:28)
発達障害者は、発達障害の症状だけで成り立っている訳ではない。

また、発達障害の症状も、人によって、強弱や、有無がある。

発達障害とは関係ない、その人が本来持っている、知性や教養、また人格も、その人の人となりを決定している。

定型発達者だって、人によって中身は全然違う。
発達障害者だって、人によって中身は全然違うのだ。

診断名にこだわって、人間が本来持っている性質までも、拡大解釈して障害に結び付けていることはないだろうか。
人格までも、障害由来にして、障害というフィルターを通して色眼鏡で見ていないだろうか。

発達障害は、その人の一部の特徴でしかない。
必要以上に、発達障害にこだわる必要もない。

発達障害の症状に、人格まで支配されている訳ではないのだ。
人格は、その人が経てきた体験や、受けた教育、学習した内容などで決まってくる。
どのような人間が周りにいたか、という影響も大きい。

また、生まれ持った気質もある。
遺伝的な要素もあるだろう。

発達障害に関わらず、人格は育てて成長出来るものだと私は考える。
昨日も言ったように、生まれっぱなしの好き勝手な状態では、社会では生きにくくなるだろう。

人格には、家庭環境の影響も大きい。
しかし、家庭に恵まれなかったとしても、皆が皆、反社会的な人格になる訳でも、良心が欠けている訳でも、共感能力が劣っている訳でもない。

私は、外に向かって開かれているか、というのが重要ではないかと思う。
つまり、捻くれた態度で難癖を付け、自己の考えに固執していたのでは、成長はない。
どうせ・・・という諦めの態度からは、卑下た態度や自己憐憫、恨み言しか生まれない。

向上心がないというのは、悲劇的だ。
たとえ良い師に出会えなくとも、本がある。
学ぼうと思えば、いくらでも学べる。
成長は少なからず出来る。

人間は、生れつき知識を持っている訳ではない。
外へ心を開いて、学ばなければ、知識は持てず、成長も出来ない。

発達障害という枠に囚われず、人間として成長をし続けることが、その人自身や、周りの人々、ひいては社会にとってもプラスになるのだと思う。

情報の選択には、気をつけなければならないが、学習を積んでいけば、選択をする目も養われると思う。
くだらない情報に踊らされない為にも、日頃から良質な情報に触れていた方が良い。
私は、色々な本を読むことを勧めたい。
書評はサイトで見られるので、よく分からない人も、それを見て選ぶことが出来るだろう。
知的好奇心は、人生に、更なる喜びを与え、より一層の深みを増してくれることだろう。

話が多少脱線してしまったが、発達障害と人格は、別の問題で考えた方がいいと私は考えている。
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発達障害名は免罪符ではないはずだ

2009.03.18(22:31)
(※これは単なる私個人のぼやきであり、特定の個人を想定している訳ではありません。)

発達障害者だからといって、何をしてもいい訳ではない。
診断名をもらったからといって、何をしても許される訳ではないはずだ。

発達障害者は、罪を犯しても許されるのか。
他人に危害を与えても見過ごしてもらえるのか。
他人に不快感を与えてしまってもしょうがないのか。
・・・そんなことは決してない。
社会に住む以上、社会のルールやマナーは、守らなければならないのだ。

出来ないことを前面に押し出すのは、簡単なことだ。
でも、出来ないことがあるのは、発達障害者ではなくとも、よくあることだ。

皆が、出来ないからと開き直って、好き勝手にやっていたら、この世は無法状態になってしまうだろう。
そこが、住みにくい世界であろうことは、容易に想像が出来る。
各々違う人間が集まる以上、最低限のルールやマナーは必要なのだ。

確かに、発達障害故の困難さはあると思う。
しかし、社会生活が送れる程の知能があるのならば、最低限の人としてのマナーや、社会的ルールは学習出来るのではないだろうか。

「私には分からない。」
「私には出来ない。」
そう言ってしまうことは簡単だ。

しかし、そう断言してそこで思考を止めてしまったら、そこからの発展は全く無くなってしまう。

分からなければ、人に助言を求めたり、本やネットで調べることも出来る。
出来ないと思っても、訓練をすれば、少しは出来るようになるかもしれない。

最初から、何かを始める前から、自ら、可能性の芽を摘むことはないのだ。

そして、人間が社会的な存在である以上、嫌であろうと社会のルールは守らなければならないし、社会の風潮にもある程度従わなければならない。
発達障害者でなくとも、人は色々と我慢をして、世の中の諸々のことに従っているのだと思う。

発達障害者だけが特別な存在である訳ではないし、恩恵を受けられる訳でも、許される存在だということでもない。
社会で生きている以上、必要最低限の、社会で生きる術は身につけなければならないと思う。
誰だって、生まれっぱなしの状態で、自分勝手には生きられないのだ。
嫌でも世の中の仕組みに従わなければならないのだ。

そして、それぞれが自分に合った社会との折り合いの付け方を、探して訓練していけばよい。
他人の言うことを気にし過ぎると自己を見失うが、気にしなさ過ぎると今度は周りを見失ってしまうだろう。

くどいかもしれないが、誰しも自分一人で生きている訳ではない。
社会の恩恵を受けて生きている。
その恩恵を受けている以上、社会のルールやマナーは守るべきものだと思うのだ。
簡単に出来ないのだとしても、それは他人を傷付けたり、不快にする理由にはならない。
それすら自覚出来ないのだとしても、自分とは異なる他人の意見に耳を傾けることは出来るだろう。
人間は社会に生かされているのだということを、忘れてはならないと思う。

『自分が絶対に正しい』などということは、社会的には有り得ないと私は思う。
たとえ、その人の世界の中では正しいことだとしても、他の人の世界では正しくないこともあるのである。
皆が皆、違う世界(視点)で生きているからこそ、他人の意見(異なる視点)は貴重なものとなるのである。
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情報の選択能力(相手の意図を読み間違えるのは何故なのだろう)

2009.03.17(22:31)
物事は、その中の要素の、何を、どのように見るか(どの情報をどう選択するか)によって、意味内容がかなり異なってくる。
簡単な例え話で恐縮だけど、四角錐(ピラミッドの代表的な形)は、横から見たら三角形だけど、上から見たら四角形だ。
このように、視点を変えれば、見方はまるで変わってくる。

このことを踏まえた上で、相手の意図を読み間違えるということが、どうして起こるのかを考えてみたい。

1、思考体系が相手と異なる。
相手の意図を、自分に置き換えて推察してみても、自分が相手とは違う思考方法をしている場合、相手も自分と同じ考えで言動すると仮定をすると、読み間違えることがある。

2、相手の言動の、注目すべき点を間違えている。
相手の言動の主要だと思われる箇所ではなく、どうでも良い細部にこだわってしまっていて、本当の意図に気が付いていない。

3、知識があまり無く、解釈する能力が低い。
人間の行動形態に対する知識があまり無い(人々が取る行動形式や意図の種類、どのような場面でどういう言動を取るかという組み合わせの知識が少ない)場合、推察する能力は低くなる。
人間の動機や感情、思考などに対する知識があまりないと、推論をしにくくなる。

4、感情に囚われやすい。
相手の言動を論理的、客観的に推察するよりも、感情が激しく動いてしまい、つい感情的な対応を取ってしまう。感情に支配され過ぎて、論理的思考が出来なかったりする。

5、相手の言動を拡大解釈してしまう。
相手の起こした言動を、軽く流したりせず、意味を追求し過ぎて、本来の意味(相手は軽い気持ちだったかもしれない)から遠退いてしまう。

6、言葉に囚われ過ぎる。
言葉をひとつひとつピックアップしては、意味を考え過ぎて、相手が込めた言葉に対する意味とは違う意味を、新たに付随させてしまう。

物事のどこを見るかが多数とは違う場合、場違いな解釈となり、しなくても良い苦労をしたりもする。
これは何故生じるのか。
脳の働きの問題も大いにあるとは思うが、私は知識の有無も関係していると思う。

自分の考えは違うかもしれないと考えられるかどうかは、そのような思考法があるということを知っているかどうかでも変わってくる。
(科学的知識や態度を持っているかどうか。)
思考方法は鍛えられるからだ。

また成育環境もかなり影響していると思う。
子供時代、どのような大人と身近に関わってきたかで、選択する能力は変わってくると思う。
偏った視点で育てられた場合、自然と偏った視点から見る習慣が身につくだろう。

私は、そもそも相手の意図は、正確に読めなくても構わないものだと考えている。
相手が何を考えているのかを推測するのは難しいことだし、分からなければ聞けば良いことだ。
(答えてくれるかどうかは分からないし、聞ける状況ではない場合もあるけれど。)

ただ、間違った解釈で、相手を攻撃してはならないと思う。
思い込みに支配されて、他人を差別したり侮辱したり罵ったりすることは、誰にとっても良いことにはならないと思う。

思い込みに支配されやすい人は、異なる意見を向けられたとしても、それは自分に対して、攻撃や叱責や否定をしている訳ではないということを、まずは知識として知っておくべきだと思う。
日頃から、様々な視点で物事を見るよう意識し、習慣化するだけで、大分違うはずだ。
自分が絶対に正しいと思う時も、疑ってみた方がいい。
迷った時は人に助言を求めれば良いし、本などで思考力は鍛えられる。
知識は得ることが出来るし、体得して習慣化することも出来る。

それから、良い意味で、いい加減さを身につけると良いだろう。
細部に囚われていると、本質を見失うことがある。
安易に動じない心や、受け流したり、受け入れるだけの精神力を鍛えることも、必要なことだろう。

感情は厄介なものだが、人間には理性がある。
長くなったので、感情についての問題は、またいつか記事にしてみたいと思う。
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秩序の大切さ(音楽と演劇の効用)

2009.03.14(15:03)
先日紹介した本(『妻と帽子を間違えた男』)を読み進めていたら、また面白い記述に出会ったので、適当に引用しながら紹介してみたい。

昨日、たまたま音楽のことについて触れたけれど、音楽や物語や劇は、知恵遅れの人々や、重度の前頭葉損傷患者や失行症患者にとって、重要な力を持つらしい。

知能指数が20以下で運動能力が極めて低い場合でも、音楽や踊りになると、ぎこちない動きは消えてしまう。
音楽があると、どう動けば良いか分かるからだ。

単純な仕事さえうまくこなせない人々も、音楽が入ると、完璧に行うことができる。
体系としては把握できないそれらの仕事を、音楽にはめこまれたものとして捉えることができるからだ。

重度の前頭葉損傷者は、知能は損なわれていないのに、簡単なひとつつながりの動作が出来なくなる。
このような場合、通常のリハビリテーションでは効果がないのだが、やはり音楽に合わせると、これらの欠陥は瞬く間に消え去ってしまう。

抽象的で体系的な方法が役に立たない時にも、音楽は組織としてまとめる力、効果的に楽しくまとめる力があるらしい。

また、演劇が効果的だというのは、「役」には、組織しまとめる力があるからだ。
劇が続く限り、「役」はまとまった人格を持ちつづける。
「役」を演じたり、何かに「なる」という能力は人間の特権なのだ。

そして、このことは、発達障害においても、有効な手段になり得ると思うのだ。

私は以前から、家事をする時など、音楽を聞きながら作業をしている。
音楽のリズムに合わせていると、作業がスムーズに進むからだ。
トゥレット症候群のチック症状も、音楽で踊っている時には現れないというが、そのような状態に近いものがある。

また、何かの役割になりきって、事を進めるのも有効であると思う。
例えば、料理をするのは苦手だけれど、有名シェフになりきってやれば、少しは楽しく出来るかもしれない。
これは、人間関係を築く上で私が使っていた手段でもあるけれど、いくつかキャラクターを作っておくことは、スムーズに対処をする上で有効なのだ。
(キャラクターの選別は、場に合わせて行わないと、痛い目に遭うけれど。例:おちゃらけたキャラは厳格な場には合わない。)

概念的能力が劣っている場合においても、音楽や演劇(物語)には、それらをまとめあげる力がある。
一定の枠組みがあれば、格段に動きやすくなる。

これらのことが全ての人に当てはまるとは思わないが、欠陥にではなく、持ち合わせている能力に目を向け、それを伸ばす方向に考えることは、やはり大切なことだと改めて感じた。
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音楽と共に

2009.03.13(19:19)
音楽ってなんて素晴らしいんだろう!

私は何度も音楽に救われている。

辛い時、どんなに慰められたか分からない。
誰かの言葉より、私にとって、音楽は大きな心の支えになった。

音楽は、私が一定のリズムで流れ動くのを手伝ってくれる。
音楽と一緒に私は踊る。
私は、音楽になる。

この世にある、私にとって素晴らしいと思えるものの一つが音楽だ。
音楽が無かったら、私の人生は成り立たないぐらい、私は音楽と共にあると感じている。

音楽は私を、私らしくいさせてくれる。
日々の細々とした雑用の中から、私自身を取り戻させてくれる。

生きる意味や価値を与えてくれていると思う。
音楽があって、自由に音楽が聞けて、本当に幸せだと心から思う。
この幸せな状態に感謝をし、一時一時を大事にしていきたい。
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決して自分の思い通りにはならない存在

2009.03.13(18:23)
自分とは違う意見の人や、違う選択をする人を、批難したり、排斥しようとするのは何故なんだろう。

人は、毎日のように、他人を通して自己を確認している。
他人の中に、自分を見る。
他人との差異から、自己を確認する。

あやふやな存在の「私」は、人の目を通すと、確かな存在として浮かび上がる。
ぼんやりとした輪郭を、確かめることが出来る。

自己は、無意識に一定の方向へと動いている。
思考は、型通りのパターンで回転する。
何故なら、その方が楽だから。
反射的に自動で動けるから。

目の前に、自分とは違うパターンを見付けると、拒否反応が起こる。
それは、頭の中の一定のリズムを崩す、不協和音だから。

不安定な自己を支える思考体系を脅かす存在は、否定せずにはいられない。
そして、自分が選んだ思考を、より強化してくれる存在を見付けて、肯定感を強めずにはいられないのだ。

それが、自己を保つことに繋がるから。
安心な場所を確保できるから。

「私を肯定して欲しい」という思いは、誰しも持っているものだ。
それは、度合いによっては、悲劇を生むこともある。

他人との距離をどう保つかによって、人生の中身は大分変わるのだろう。
他人の存在は、生きていく上でどうしても避けられない問題だ。
他人に対して、自分がどのようなスタンスを取るかを、日頃から考えておくのは大事なことだと思う。

他人に肯定してもらわなければ、自己は成り立たないのか。
他人に受け入れてもらえなければ、自己は肯定出来ないのか。
自分自身で自己を肯定する方法も含めて、一度は考えてみても良い問題だと思う。

そして、それはまた、自分とは違う存在を認める勇気にも繋がると思うのだ。
このことについては、改めてそのうちまた記事にしたい。
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推奨しない自己肯定感を得る方法

2009.03.11(15:23)
自己肯定感を得るには色々な方法があるけれど、ふと、一歩間違えると危ない方向に行きそうなケースを考えてみたので、載せてみる。
(※特定の誰かを想定したものでは決してありません。もし気分を害した方がおられましたら、申し訳ありません。)

1、他人からの賛同をやたらと欲しがる。

他人から受け入れられ、共感や称賛、また同情などを受けると、自己評価が高まる。
やり過ぎると、他人の評価を気にし過ぎて自分を見失ったり、他人に構って欲しくてなりふり構わなくなったりする。

2、権威ある人の意見を振りかざす。

著名人や有名人、また頭の良さそうな人の意見や言葉を拝借することにより、自分もその人と同じような立場になったような錯覚を起こす。
単に狼の皮を被った羊であったりする。

3、他人をおとしめる。

他人をあえて低く評価することにより、自分の方が高い位置にいるのだと錯覚が出来る。
色々な犯罪や差別などの問題も、これに当たることが多い。

4、自分より不幸な人を見付けて蔑む。

自分より不幸そうな人達を見て、自分の方がマシだと慰めたり、安心感を得ることが出来る。
低俗な雑誌や、くだらない噂話などでもよく見受けられる。

まだあるかもしれないけど、時間がないので、今日はこの辺で。
要は、不安の裏返しであり、安心感を得たいということなのだろうと思う。
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踊る阿呆は何を見て生きる

2009.03.10(16:51)
粗探しをするのも、不満を見付けるのも、簡単だ。

人と比べて劣っている箇所も、すぐ見付けることが出来る。

でも、物事には、悪い面もあれば、良い面もある。

私は、悪い面ばかりではなく、良い面を見るのが好きだ。

どうせ生きるなら、素敵なことや、楽しいことに目を向けたい。

人に対しても、良いところを評価したい。

全てを良い風に見ることなんて出来ないことは、よく分かっている。

ただ、同じ見るのなら、良い面も見たいと思うだけだ。

同じ物事でも、見方で全く解釈は異なるのだから。

阿波踊りに、「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損。」というフレーズがある。

私は、同じ阿呆なら、思い切って踊って、楽しく生きたいと思う。

人生に喜びをたくさん見付けて、分かち合いたいと思う。

人間は、常に何事かを問い掛けられ、選択をしていく存在だ。

逼迫した事態でもない限り、たいていは自分自身でどうするかを選ぶことが出来る。

運命は誰にも分からない。

運命を嘆き、見えない不安に怯えるよりは、運命を受け入れて、見えない希望を見出だしたい。

出来ないことを見付けて憂い煩うよりも、出来ることを見付けて伸ばしていきたい。

そして、人生が出す数々の問い掛けに、自分なりに精一杯応えたいと思う。

これは、単なる私のささやかな願いである。
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言葉と概念化とリアル

2009.03.10(14:19)
ブログを始めてから気付いたことがある。
今までブログがマイブームになっていたのでマメに更新をしてきたけれど、そうすると、次に書く内容を頭の中で推敲するようになる。
私は、少し推敲をした後、頭の中に寝かしといて、あとは勝手に頭の中で出来たものをそのまま自動筆記みたいにして書いている。
(今まで学習して蓄積された言葉や文章が当てはめられて、作られているのだと思う。)

推敲する間、頭の中は言葉で溢れる。
言葉、言葉、言葉の渦だ。

そうしているうちに、ふと感覚の世界が遠退くことに気が付いた。
頭が言葉で溢れている(言葉で思考している)と、感覚の世界が感じにくくなるのだ。

私が感じている感覚は、元々言葉とは無縁の世界だ。
言葉の世界と感覚の世界は、平行した世界なのである。
(感覚の世界では、言葉が本来持っている意味は無くなり、音の響きに意味があるようになる。)

昨日書いたように、感覚の世界は、具体的であり、生々しいリアルな世界だ。
私は、事物から生き生きとした直接的なサインを感じ取る。
それは、とても喜びに満ちた素晴らしい世界だ。

一方、私は平均並の知能も持ち合わせているので、知識として、頭の中で言葉を使って世界を概念として捉えることも出来る。
こちらは、私にとって現実感のない、実に味気ない世界だ。
理屈では理解出来るが、感覚的には、違和感があるし、皆がこの概念でのみ生きているのが不思議でならない。

私から見ると、世界は、とても美しい調和で成り立っている。
事物は流動的に動き、その流れは心地良い旋律となる。
世界は、色と音とリズムと点や模様で溢れている。
パターン化された模様は、素晴らしく美しい。
それらはダイレクトに私の中に流れ込んできて私を圧倒し、私の中はそれらでいっぱいになり、そして私はいなくなる。

視覚、嗅覚、触覚、聴覚などを使って、それらは感じ取ることが出来る。
感覚に意識を集中すれば、そこにはいつでも素晴らしい世界が広がっているのだ。

目の前の何でもない景色は、一枚の素晴らしい絵画となり、一定のリズムや模様は、魂に安らぎや喜びを与えてくれる。
触ったものから、様々な波長を感じたり、何ともいえない世界を垣間見たりする。

発達障害だからこの感覚があるのかは分からないが、もし発達障害で持ち合わせている人がいたら、社会に合わせて押し殺してしまうのはとても惜しいことだと思う。
もし子供のうちに、この世界を否定され、概念化された世界を強制されてしまったら、その子は社会に現実感が持てないまま、辛い気持ちになるんじゃないかな。
でも、この感覚があれば、世界は素晴らしく思えるし、逃げ場にもなる。

私は、この感覚があるお陰で、最も根本的なところにおいて、人生は素晴らしいものと思えるし、存在していることが大いなる喜びとなっているのである。
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感覚とドーパミンとてんかんと自閉症

2009.03.09(15:46)
最近、以前から持っていた『妻を帽子と間違えた男』(オリバー・サックス著)という本を、改めて読み始めてみたら、面白い発見があった。
この本は、発達障害の診断を受ける前から持っていたのだが、途中まで読み進めた後、他の本に浮気をしてしまい、読んでいなかったのだ。
(私は無類の本好きで、本屋も大好きであり、本屋に行ってはつい新しく本を買ってしまい、そちらを読んでしまったりする。ちなみに、基本的にノンフィクション系のものしか読まず、小説などは苦手なので読まない。)

まだ読み込んで熟慮していない段階であり、上手く説明する自信がないのだが、書きたい衝動に駆られたので、書いてみることとする。
(後で、改めて訂正や追加記事を書くかもしれない。)

人間は、普段、無意識に感覚がある程度抑制をされている。
以前、概念化という問題について記事にしたことがあったけど、人間は普通は、事物から受ける刺激を、直接ではなく、ある程度抑圧して受けるようになっている。
外から受ける情報(刺激)を、そのままの具体的な個々の姿ではなく、ある程度脳で抽象化をして、知覚しているのである。

この抑圧が外れて、より具体的な世界になるとどうなるか。
物事から受ける感覚は、それまでの抽象化された世界とは違い、実に生き生きとしたリアルなものとなる。

ここで、上記の本の内容を適当に意訳して、抜粋してみる。

(引用始め)

以前、コカインなどの薬物中毒で嗅覚が非常に敏感になった青年がいたのだが、彼は同時に色彩感覚も鋭敏になり、直感的な視覚的能力と記憶力がひどく高まるようになった。
今まで同じにように見えた色も、違うように見えるようになり、以前は絵を描くなどということや、心で物を見るなどということは出来なかったのに、まるで高感度のカメラを持っているかのように、事物が正確に紙に映し出されているように見え、正確な絵の描写が出来るようにもなった。

そして、嗅覚がするどくなったお陰で、臭いだけで、人を見分けることが出来るようになり、その人の感情まで(恐怖や満足、また性的な状態まで)嗅ぎ取ることが出来るようになった。
彼は、街を臭いだけで迷わず歩くことが出来るようになった。

嗅覚のもたらす快感は強烈だった。(また不快感も。)
しかし、臭いは快不快だけの問題だけではなく、美意識や判断にも影響を与える重要なものとなった。

彼は、嗅覚が敏感になる前は、どちらかというと知的で、あれこれ考えて抽象化をする方だったのだが、いまや個々が持つ直接性に比べたら、考えたり抽象化したり分類することは、なんとなく難しく、真実味がないように思えるようになった。
「きわめて具体的な世界でした。個が重要だったのです。ひとつひとつが恐ろしく直接的で、全てを生で感じるんです。」と彼は語った。

この感覚は、その後正常に戻ったのだが、彼はほっとすると同時に、残念がった。
感覚が正常に戻ると、生気なく色あせた世界、感覚も平板で、具体性にとぼしい抽象の世界に戻ってしまったからだ。
彼は、人間は、文明化の代償として、これらの感覚を失ってきたのだということがよく分かった。そして、人間には原始的なものも必要なのだということも。

(引用終わり)

この脱抑制は、どのような状態で起こるのかというと、ドーパミン過剰状態で起こるといわれている。

また、私が感じていたような恍惚とした世界は、てんかん発作でも起こることが知られている。
光が降ってくるような状態などは、偏頭痛が起こる前の前兆現象にも少し似ているようにも思った。(閃輝暗点

側頭葉てんかんでは、体外離脱や既視感や宗教的法悦のようなものが起こることがある。
このようなてんかんの経験をした歴史上の人物ではドフトエフスキーが有名である。
(この説には異論もあるようだけど。)
ドフトエフスキーは次のように語っている。

「ほんの五、六秒の短い時間だが、永遠の調和の存在を感じるときがある。恐ろしいことに、それは驚くべき明晰さで姿をあらわし、魂に法悦をもたらす。もしこの状態が五秒以上続くなら、魂はそれに耐えられず消滅してしまうだろう。この五秒間に、私は人間としての全存在を生きる。そのためなら、私は命も賭けるだろうし、賭けても惜しいとは思わないだろう。」

私の持つ感覚が一体なんなのか。
かなり見えてきたように感じている。

今のところ、ドーパミン過多で感覚が鋭敏になっている可能性が一番影響力があるようにも思える。
それから、光が見えた時は、閃輝暗点状態になっていたか、軽いてんかん発作だった可能性もあるのかもしれない。
私自身はてんかんという診断は受けたことがないのだが。

また、ドナ・ウィリアムズなどの自閉症者が、似たような感覚を持っているのは、物事を抽象化することなく具体的に受け取るという性質や、感覚が過敏であるということも関係しているのではないか、と思う。
私の場合、何かしらの原因で生まれつき感覚が鋭敏なのだろうと思うのだが、ドーパミンなどの可能性はあるけれど、原因は一つではないとも思っている。
(ちなみに、私も嗅覚は敏感な方であり、その他にも触覚や聴覚など割と過敏であったりする。生まれ持った感覚のレベルの問題もあるのかもしれない。)

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またもや夢中にーーー!!!

2009.03.06(14:33)
前に来たことがある方は分かると思いますけど、急に思い立って、ブログのデザインをちょっと変えてみました。
うーん、なんか飽きたんですね、はい。

ほんとはもっと色々といじりたいとこなんだけど、ご飯も食べずに夢中になっちゃって、いい加減ヤバイのでそろそろ止めときます。
スタイルシート分かんないくせに、勝手に勘でやっちゃってるんで、不具合などありましたら、教えて頂けると助かります。

てかさ、もう自分でテンプレート作っちゃった方が良くないか!?とまで思い始めてるんだけど、そこまでする意味もないような気もするし・・・。(職人じゃないんだからさ・・・。)
でも自分で作れば、思うようなのが出来る訳だよねぇ・・・。(←ちょっと心惹かれてる人)
今の状態も、かなり改造しちゃってるんだけどね。

あ~~~、しかし、なんすかね、この意味も無くやり込んでしまうの。
で、止められないっつーか、もう、ね、あなた。(←誰に言ってんだ?)

いや~もう、やり過ぎで持病の後頭部の神経痛が痛くて痛くてあきまへーん!!
頚椎2番目の神経がちょっとおかしいのですよ、私。
かな~り今痛いっす!ヽ(`Д´)ノ

あ、それと、なんか最近、頭ん中がぐ~るぐるしとるんで、簡単に書ける場所として掲示板も設置してみました。
これも、アイコンとか色々設定をいじってて、夢中になってしまった。
えっと、自分用に作ったも同然なんだけど、良かったら皆様も適当に使って下さい。

んー、なんかねぇ、たまにテンションが異常というか、躁病か?みたいな、なんていうか、まぁ、おかしいって感じっすかね。
そんななので、ちょっと発散出来る場所というか、作ってみましたのことよ。
やぁ、他にも結構いるんすかね?こういう方。
いらっしゃいましたら、ぜひ、ふざけ合いましょう。えぇ、もうほんとぜひ(笑)
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ドーパミンでハイテンション☆

2009.03.05(13:46)
最近、ドーパミンにちょっと夢中になっていた。
まだ、記事にする程知識を詰め込んでいないんだけど、どうせ、詳細は分かっていなかったり、ドーパミンだけではどうこう言えなかったり、個人差もあるだろうから、そんなに専門的に知らなくてもいいかな、とも思っている。

ADHDは、ドーパミンの量や取り込み方に問題があると言われているんだけど、これ、最近改めて実感しているのであります。

ちなみにドーパミンとは・・・↓
『快感を増幅する神経伝達物質といわれ、脊椎近くにある腹側被蓋野”A-10と呼ばれる”という原始的神経核からはじまって、高度な人間らしさを司る前頭葉まで達している神経路が快感神経系と呼ばれている。この快感神経系のスイッチを入れるのがドーパミンでA-10神経系で作られる。快楽神経系が興奮すると、ヒトは快感を感じ、身体の動きが活発になり、ユーフォリア(多幸感。ハイな感じ)になる。ドーパミンは覚醒剤ととてもよく似た構造を持つので、覚醒剤を使用するとドーパミンが放出された時と同じような「ハイな感じ」を得ることになる。』

これって自覚症状なので、客観的に見てどうだか分からないんだけど、なんか、私、日常的にドーパミンが過剰に分泌されている時がよくよくあるみたいなのです。(てか、バランスが悪いのかもしれないけど。)

つまり、まさに、毎日がユーフォリア状態というか、すぐハイで多幸感いっぱいみたいになっちまうんです。

いや、気の進まないこととか、嫌な雑用をする時とか、ストレス感じてる時は、多幸感なんて感じませんよ(笑)
でも、何もしてなくても、一人でいても、妙にハイになったり、幸せ感じたりするんですわ。
なんか意味もなくウキウキしたり、わーい♪ってその辺走り回りたくなっちゃったり、凹んでもすぐやる気に燃えたり・・・。
これってなんなんだろうと思ってたら、どうやらドーパミンの影響があったんですね~。

うーん、しかし、これっていいような気もする反面、はっきり言って、周囲から浮くよね。
日本ってよりも、やっぱラテン系なんだな。
リオのカーニバルとか参加してた方が合ってるよねぇ(笑)
てか、なんか一人でハイテンションってのも、ちょっと孤独だったりしますわよ(´д`;)
それと、厄介なことに、抑えがたき衝動と、多動も併せ持っているからねぇ。ふふふふふ。

ちなみに、トゥレット症候群もドーパミン系の異常(過活動)から起こると言われてるんだけど、多動の部分とか症状が重なる部分が結構あるんだよね。
ADHDと併発し易いらしいし。

まぁ、ドーパミンに色々な影響を受けていて、感覚的なものも、どうやらその中にちょっと入っているみたいなのです。
私の独特の感覚には自閉症的要素が関係するのではないか、という疑念から始まって入った発達障害の世界だったけど、色々な可能性が見えてきて、最近は、私自身、ADHDの影響がかなり大きいのだということを痛感しております。
(もうPDDのことはさほど考えなくて良いのかもしれんな~・・・。)
ブログを始めて、出会いもあって、色々と分かってきて良かったと思います。

てか、正直ちょっとブログ飽きてきたかな~なんて思ってたんだけど(←おいっ!)、ドーパミンのこととかまた書いてみたいと思います。
ちなみに、ドーパミンのことを図入りで面白く解説したサイトがあったので、参考までに紹介しておきます。(内容はちょっとツッコミどころ満載ではあるけど。)
■ドーパミンと性格の関係(DNA占いより)
http://www.dnauranai.com/story/dopamine_1.html
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プロフィール

空海もけ(そらみもけ)

Author:空海もけ(そらみもけ)
ADHDの鍼灸師。面倒臭がり屋でふざけるのが大好き。着ぐるみ脱ぎました。
(詳しくはカテゴリーのプロフィール欄を参照。)

もち
・もち
もけの夫。
背が高くてよく食べる。
お煎餅が大好き。

ゲコ
・ゲコ
近くの川に住む蛙。
よく合いの手を入れる。
留守番もしてくれる。

ポンチン
・ポンチン
もけが実家で飼っているマルチーズ犬。
(本当はふわふわモコモコ。)
一緒に住んでいないが何故か登場する。

※漫画の内容は、事実を元に多少脚色してあります。

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