2009年02月

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  2. 森に住む7人の小人達(ハイホー♪ハイホー♪)(02/26)
  3. 「心の理論」のまとめ(02/26)
  4. 「心の理論」の問題について(02/25)
  5. 「心の理論」の「心」とは(2)(02/25)
  6. 「心の理論」の「心」とは(1)(02/24)
  7. アスペルガーにSAMはあるのではないか(三項関係と言葉)(02/23)
  8. 【対策】読書方法(02/22)
  9. そういえば「主婦」で「女」だった(02/20)
  10. 1ミリのズレ(ツボは動く)(02/19)
  11. 場の空気は読んでいる(02/18)
  12. むやみにカミングアウトはしない(02/18)
  13. いつだってギリギリだぜ、ベイベー!(02/17)
  14. 医師のことを頭から信じたりしない(02/17)
  15. 悪魔と天使(02/16)
  16. 障害者じゃない感じ(02/16)
  17. 嫌われたり好かれたり(02/15)
  18. 心と体の相関関係(02/14)
  19. 人は自分の手駒ではない(02/13)
  20. 感覚の世界と自閉症スペクトラム(02/13)
  21. 治療と信頼関係(02/13)
  22. 私にとって快適な職場環境(02/12)
  23. 定型発達の基準で決めない(02/12)
  24. 障害だからと諦めるもの(02/12)
  25. 何が苦手で、何が出来ないのか(02/12)
  26. 出来ないものは出来ない!(02/11)
  27. 診断名に囚われない(02/10)
  28. 光の粒になる(02/09)
  29. のだめと浮かれ小人(02/09)
  30. 頭の中に住むあいつ(02/08)
  31. 恰好の素の上で(02/08)
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森に住む7人の小人達(ハイホー♪ハイホー♪)

2009.02.26(14:26)
えっと、堅い感じの話題が続いたので、ちょっと阿呆な話を・・・。

風子さんの記事に影響を受けて、私も頭の中の小人達に名前を付けてみました。
白雪姫にちなんで7人います(笑)

まず、小人達は、私の中の本質的な世界(感覚の世界)と、外の世界(現実社会)との間にある、大きな森の中の、木で出来た家に仲良く住んでいます。

先に小人達の名前を紹介すると、
 1、笑い小人(別名:浮かれ小人)
 2、学者小人
 3、ズボラ小人
 4、冒険小人
 5、ロンリー小人
 6、甘え小人
 7、芸術小人
の、7人です(笑)

では、7人の特徴を紹介します・・・。

『笑い小人』・・・こいつは前にも紹介したことがあるけど、どこでも自由に顔を出して来て、あんまり深刻な時は隠れてたりするんだけど、ひょっこり現れては笑いを誘います。イメージとしては、ピエロみたいな感じですかね。踊ったり、歌ったり、明るくてふざけてばかりいて、ノリが良いです。ボケ・ツッコミが大好きです。ちょっと調子に乗りやすかったりします。

『学者小人』・・・こいつは学問や考えることが大好きで、一人で小難しい話をしたりしています。いつも書斎にこもって、本ばかり読んでます。本はノンフィクション系しか読まず、専門書も好きです。議論をするのも好きなんだけど、相手になってくれる小人はほとんどいません(笑)懐疑的であり、科学的で論理的な思考をしてますが、興味のあることしか調べたり考えたりしないので、知識は偏っています。

『ズボラ小人』・・・こいつは大体居間のソファーでジャージ姿でぐうたら好き勝手なことしてて、おやつを食べたり、漫画やテレビを見たり、昼寝したりしています。(こいつのせいで部屋がとても散らかります。)いい加減で、忘れっぽく、かなりの面倒臭がりやなので、外出も滅多にしません。口癖は「めんどくさい。」「ま、いっか。」で、何か問題が起きても、こいつが出てくると、どうでも良いことにされてしまいます(笑)

『冒険小人』・・・こいつは滅多に家にいません。いつも森をうろうろしていて、何か面白いことや刺激的なことを探しています。好奇心旺盛で探検や冒険が大好きで、新しい状況にワクワクします。かなり飽きっぽい性格です。狩りが大好きで、獲物を見付けると、一目散に突っ走って体当たりで勝負します。チャレンジャーでエネルギッシュであり、行動はめちゃくちゃ早いのですが、その場の思い付きや直感で動くので、計画性は全くありません。

『ロンリー小人』・・・こいつは他人にあまり関心がなく、いつも独りで行動しています。人が嫌いな訳ではないんだけど、群れるのや、人付き合いが苦手です。一人でいるのが好きで、部屋で好きなことをしたり、その辺を静かに散歩したりして、独自の時間でマイペースに過ごしています。また、ルーチンワークが得意で変化が苦手であり、妙なところにこだわりを持ってたりします。(こいつがこだわりを持って部屋を掃除します。)普段は淡々としてて、シャイなヤツですが、変に正義感に燃える時もあります。

『甘え小人』・・・こいつはとても甘えん坊で、人懐こく、寂しがりやなので、一人だと人恋しくなります。感情の波が激しく、すぐ泣いたり、落ち込んだり、笑ったりします。ダークな部分も持ってて、妬んだり、ズルをしたりもします。人の目を気にするところもあったり、一番人のことを考えてます。割と人情に厚いところもあったりします。

『芸術小人』・・・こいつは、絵を描いたり、作曲したり、楽器を演奏したり、詩を作ったり、芸術家もどきな感じです。いつも部屋でピアノをひいたり、クラリネットを吹いたり、その辺で写生をしたり、詩をそらんじたりしています。(ちなみに小説は書きませんが、絵本ぐらいなら書きます。)また、たまにみんなの前で発表したりもしています。居間にはこいつの描いたみんなの絵が飾られています。閃きがあって、創意工夫をして何かを造ることもあります。

以上、小人達の紹介でした。
いや~、妄想の世界は楽しいなぁ~(笑)
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「心の理論」のまとめ

2009.02.26(13:59)
えー、しつこいとは思いますが、三項関係の時のように、前回まで書いていた「心の理論」の記事を簡単にまとめておさらいしてみます。

ちなみに、今回一連の記事を書くにあたって、心理学の内容を所々引用してはおりますが、以前にも述べた通り私の知識は素人レベルですし、今回の一連の記事については、私の知識から推測した単なる個人的見解も入っておりますので、ご注意下さいませ。

<心の理論の検査に合格する条件>
・「自己」と「他者」の区別がついている・・・自我が形成されている
・「言語」を獲得している・・・言葉で論理的に考えることが出来る

※上記以外に合格の妨げになる原因と考えられるもの
・知能検査が動作性優位の子(言語性<動作性)の場合、文章を見たり、聞いたりする検査だと分かりにくい。(絵による検査の方が合格しやすい。)
・些細な部分(場面はどんな場所か、とか登場人物の関係はどうか、など)に気を取られてしまう場合、質問されている意図とは違う答えをしてしまうかもしれない。

<「自己」を獲得する過程>
・1歳半ぐらい・・・鏡に映った自分を見て「これは自分だ」と認識出来る。

それ以前の乳幼児は、自己と他者の区別がついておらず、他の赤ん坊が転んで泣くと自分も泣き出す。
自己と他者が独立した違うものだと認識した子は、泣いている赤ん坊に対して、おもちゃを持っていくなどの思いやりを示すようになる。

・2歳ぐらい・・・自分に名前があるのだということを認識する。(言葉により、自己への認知がより強化される。)

(おまけ)
・4歳ぐらい・・・自我がより確立し、他者と、言語によって内部に持つイメージ世界を共有しあえるようになり、「ごっこ遊び」などの役割分担をして遊びが出来るようになる。(協同して遊べるようになる。)

<心の理論の「心」とは>
利便性や翻訳の都合で「心」とついているだけで、広義の意味の「心」ではない。
自己の視点から他者の視点へと切り替えができるか(自我が形成されているか)ということが重要なのであり、他者の心を正確に読み取れるかどうかということではない。
つまり、自分を他者の立場に置き換えて考えることが出来るかということであり、それには自己の心情を他者に投影する必要がある。

<付録>
三項関係の記事の補足に、「親子間でのやり取りが大事」ということについて後で触れるといいつつ、取りこぼしていたので、ここで補足します。(多分、当たり前の話かとは思いますけど。)

これらは発達障害とは関係なく、一般的に言われていることだが、三項関係により、赤ちゃんは母親から言葉などの様々な情報を取得するが、ここでの母親がとる態度が、赤ちゃんの成育に大きな影響を与えることとなる。
たとえば、度々赤ちゃんの視線を無理に得ようと強制的にこちらを向かせたり、赤ちゃんの視線や反応に応えなかったりしていると、その子は情緒が不安定になり、恐怖感を抱きやすかったり、感情に乏しく、他人に心を開かない子などに成長する可能性が高くなるといわれている。
それに比べて、赤ちゃんの反応に母親が反応をして(例:赤ちゃんの笑い声に対して、母親が高い声を出して話し掛けたり、やさしく体を揺すったりなど)、赤ちゃんの気持ちを確認して肯定をしてあげると、赤ちゃんは安心感を得て、情緒的にも安定して成長するらしい。

赤ちゃんに対して、母親が共感のメッセージを送ってあげるのが、赤ちゃんの成長に対してプラスに働くというのだ。
この時、赤ちゃんの行動に対して、母親が単に模倣したのでは、赤ちゃんに対して共感のメッセージにはならずに単なる理解のみとなってしまう。
赤ちゃんが感じていることを母親も感じ取っているのだというメッセージにするには、前述の例のように別の形で再生をしてみせる必要があるらしい。

また、赤ちゃんは3ヶ月ぐらいでも、母親の気分を察知し、自己に反映するようになる。
母親は育児などのストレスを抱え易く大変だと思うが、母親の精神状態も健やかでいられるようにすることが、母親自身、また赤ちゃんにとっても、良いことなのだ。
こういうことは、父親もちゃんと知っておくべきだろう。

乳幼児の頃に受けた影響は、大きい。
共感を得ないで育った子は、他人に共感を持ちにくくなるという。
この「共感」についても、次のテーマに絡めて語ってみたいと思う。
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「心の理論」の問題について

2009.02.25(13:10)
(前回の『「心の理論」の「心」とは(2)』からの続きです。)

より分かり易くするために、「心の理論」の検査で使われている『サリーとアン課題』を例に出して考えてみたい。
 
『サリーとアン課題』 
 1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
 2.サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
 3.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
 4.サリーが部屋に戻ってきました。
 5.「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。
正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。

これに正解するには、「自分」は「他者」とは違うということがまず分かっていなくてはならない。
それには、「自我」が形成されていることが、前提条件である。
「自我」が形成されているからこそ、自分と他者との区別が出来るようになり、他者の視点に立てることが可能になると思われるのだ。
(サリーとアン、それぞれの立場を切り離して類推し、その視点に立つことが出来る。)

そして、「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」には、言葉も必要なのである。
言葉の獲得により、類推する能力は高まり、他者という存在や、ひいては社会の成り立ちなどが、より頭の中で理解出来るようになるからである。

ただ、単純に自我を持ち、言葉を獲得していたとしても、この検査に合格出来るとは限らない。

たとえ自分と他者の視点の違いを想像出来る能力を持っていたとしても、それを論理的に秩序立てて考えられないと、正解を導き出すのは難しいかもしれない。
思考がすぐに混沌としてしまうような子には、難しい検査になると思われるのだ。
それからまた、色々と気が散り易かったり、細部に囚われてしまう子にも、難しいものとなるだろう。

長くなったが、特に言いたかったことは、「心の理論」に合格出来なかったからといって、「心」が無いという訳ではないだろうということだ。
もしそう解釈されている方がいたとしたら、そのようなことはないのではないかと、言いたかったのである。

自閉症児でも、「心」はちゃんとある。
(ここでいう「心」の定義は、また長くなるので次回で触れます。)

ちなみに、アルペルガー症候群の人達は、言葉に遅れのある自閉症の人達に比べて、心の理論の成績が良好であり、いくつかの研究では、アスペルガー症候群の人の中に、心の理論に欠陥のある人は、ほとんどか、全くいなかったという報告もある。
(言葉に遅れのある自閉症の人でさえ、心の理論について定型と差異がなかったという報告もあるぐらいだ。)
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「心の理論」の「心」とは(2)

2009.02.25(12:53)
(昨日の『「心の理論」の「心」とは(1)』からの続きです。)

前回、「自我」の芽生えの問題ではないかと書いたが、どういうことか、説明してみたいと思う。

そもそも、「自分」というものは、いつ頃意識をするものなのか。
これは、心理学では、鏡を使った実験で証明を試みている。

まずは、9ヶ月から2歳までの子供の鼻の頭に、彼らが眠っている間に赤い印を付けておく。
目覚めて、鏡を見て、自分の鼻に手をやるのであれば、その子は鏡の中の人が「自分」であると認識していることとなる。

この実験結果から、鼻に手をやるのは、大体1歳半ぐらいからであることが分かっている。

確かに乳幼児の観察からも、1歳未満の子は自他の区別がついておらず、他の赤ちゃんが転んで泣いているのを見て、泣きながら自分の母親のところへ這っていったりする。

それが、1歳を過ぎるとこのような行動は減り、1歳半ばぐらいには、泣いている子に対して、おもちゃやぬいぐるみを差し出したりなど、思いやりのしぐさを見せるようになる。
他人の痛みは、自分の痛みではないと認識出来るようになるのである。

そして、2歳ぐらいになると、名前を呼ばれて返事をしたり、自分の写真を見て自分の名前を言うことなどが出来るようになる。
つまり「自分」にも名前があるのだということを理解し、段々と「自我」が形成されていくのである。
このように「自分」というものを認識していく段階で、言葉という存在がまた大きくなってくる。

子供同士の交流を見てみても、3歳未満の子供達は、一見一緒に遊んでいるように見えても、よく見ると別々のことをしていたりして、実際は交流をしていない。(並行遊び)
それが、3歳ぐらいになると、それぞれが自分の遊びをしながらも、遊び道具を交換したりなどをして、ちょっとした交流が始まるのだが、あくまでも感心は自分の世界となる。(連合遊び)
4歳以降には、「ごっこ遊び」などの、共通の目的をもって、それぞれが役割分担をして遊ぶようになる。(協同遊び)

ごっこ遊びが出来るようになるということは、それぞれが持っているイメージ世界を、言語を媒介にして共有出来るようになったということを意味するのだ。
ここでもまた、言葉が果たす役割は大きい。
(「メタ表象」の問題はあるが、それは以前触れたので置いておく。)

さて、以上のような点を踏まえた上で、また「心の理論」の話に戻りたいと思う。
繰り返しとなるが、「心の理論」とは「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」こととなっている。

このような、類推や理解が出来るという背景に、上で挙げた「自己の認識」や「言葉」が前提として必要不可欠である、と考えるのである。

(次回の『「心の理論」の問題』へ続く。)
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「心の理論」の「心」とは(1)

2009.02.24(16:48)
(昨日の『アスペルガーにSAMはあるのではないか(三項関係と言葉)』からの続きです。)

「心の理論」の問題というテーマに入る前に、まず広義の意味においての、「心」とは何であるのかを考えてみたい。
(またマニアックな内容となっております。いつもの前置きは省略します。)

まず、広辞苑では「心」という言葉の意味に、以下のようなものを挙げている。
 人間の精神作用のもとになるもの。
 人間の精神の作用そのもの。
 知識・感情・意思の総体。
 おもわく。
 気持ち。
 思いやり、情け。
 他に 趣き、趣向、意味、物の中心、等。

これだけを見ても、様々な言葉で言い換えられており、大変分かりにくいように思う。
一言に「心」といっても、説明がとても難しいものだということは、すぐに分かることだろう。

実際、心理学、哲学、脳神経科学などの分野においても、はるか昔から、「心」という問題は、ずっと考察をされてきたテーマなのであるが、今もって明確なる答えは出ておらず、また立場によっても、微妙に意味は違うようである。

私のような素人が、「心」というものについて語ることは、とても難しいことなのだ。

また、言葉というものが元来持っている問題がある。
どういうことかというと、言葉というものは、時代や文化、また個人の持つ知識量や状況などによって常に意味する内容が変化するのである。

例えば、日本では通常「太陽」は「赤のイメージ」と決まっているけれど、欧米などでは「黄色いイメージ」となっている。
このように、文化によって言葉の持つ意味内容は多少変わり、同じ「太陽」という言葉を聞いても、イメージする色(内容)は違うのである。

また、語彙をあまり持たず、「焦り」や「妬み」や「悔やむ」という言葉を知らない場合、それらは全て「不安」という言葉で表現されるかもしれない。
その場合、その人と「不安」について語る場合、両者の「不安」の持つ意味はちょっと違うものとなる。

そして、言葉は対象物を比較をした結果の差異から意味が与えられ、また比較対照をする対象物によって意味が変わってくる。

分かり易い例で言うと、「右」という言葉は「左」があって初めて成り立つし、「1万円」は「1円」より高額だが、「1億円」に比べたら小額となる。

このように言葉は変化する為、ここで「心」について簡単に説明をするのは難しいという側面もある。

だから学者は論文を書く際には、どのような立場による主張(言葉)であるかを明確に記すし、同じ土壌(専門家同士)の会話では専門用語を使うが、一般読者相手には簡易な言葉に置き換えるか、注釈をするのである。

話が多少脱線して申し訳ないが、私はこのような言葉の事情から、一般人を相手に、専門用語や分かりにくい難解な表現を使うことを良しとしていない。
もし公の場で不特定多数に対してそのような言葉を使うのであれば、それは単なる自己満足でしかなく、他人に広く理解されることを拒む行為であると考えている。
簡易な言葉に言い換えられる内容に、あえて難解な言葉を使う必要はないのである。
(また、優れた識者は、簡易な言葉や分かりやすい文章を用いるものだ。)

さて、本題に戻ろう。

このように「心」とは私にはとても定義出来る言葉ではないのだが、狭義の意味においては定義をすることも出来る。
例えば、財布を落として落胆している私の「心」とか、「おもてなしの心」といったような前置きが付いていたりする場合だ。

そこで「心の理論」の「心」である。

私はこの「心」は広義の心の意味ではないと考えている。
「心の理論」の「心」は、単に検査をする上で分かり易いからと、付けただけなのではないか。
「心の理論」の意味としては、「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」となっている。
これは「心」なのか?
私には違うように思われる。
(また、共感とも違う。)

これは、「自我」の芽生えの問題ではないのか。

長くなったので、次回に続く。
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アスペルガーにSAMはあるのではないか(三項関係と言葉)

2009.02.23(13:14)
以前書いた「SAMと三項関係」などの一連の自閉症関連の記事についての補足です。
今度は、もう少し分かり易く、簡単に書いてみたいと思います。
(※いつもの前置き:学術的に正確かどうかの保証は出来ない。間違いなどありましたらご指摘願います。)

まずは「三項関係」についてのおさらい。

<赤ちゃんの平均的な発達段階>

・8ヶ月頃
ハイハイをするようになり行動範囲が広がる。
手に届くモノを触ったり、つかんだり、なめたりして、モノの存在を知る。
   ↓
自分でモノをつかんだり投げたり、母親と受け渡しをして遊ぶようになる。
『自分とモノ、自分と人、の二項関係』 (※補足参照)

・9~10ヶ月頃
離れたところにあるモノを指して、母親の注意をそれに向けさせるようになる。
自分と母親との間にモノが入り、他の人とモノを共有するようになる。
(人を介してモノと関わる。モノを介して人と関わる。)
『自分とモノと人との三項関係』
   ↓
母親が赤ちゃんの指しているモノが何であるかを言葉にしていく。
   ↓
自分が指しているモノに名前があることを知る。
『言葉の獲得』

三項関係の成立により、言葉の獲得が促進されるということが分かると思う。

この点を踏まえると、アルペルガー症候群など、言葉の遅れがない自閉症児は、三項関係は成立しているのではないか、と推測されると思う。
つまり、SAMが働いていない、ということではないのではないか。
コーエン教授が指摘をしている、自閉症児にSAMが働いていないというのは、言葉に遅れがある自閉症児のことではないだろうか。

言葉の獲得が「三項関係」だけによるとも限らないので、なんとも言えない面もあるが、そもそもコーエン教授の主張も仮説でしかないので、そちらもなんとも言えないのである。

ちなみに、SAMが働かないと、何故ToMMも働かないのかというと、「心の理論」のテストに合格するには、言葉の存在が大きいからである。
この「心の理論」の問題については、次回の「「心の理論」の「心」とは(1)」に続く。

(※補足)
二項関係の、赤ちゃんが母親とモノを受け渡しして遊ぶのが、三項関係の「自分とモノと人」というのと紛らわしくて分かりにくいようにも思うので、少し補足をしておきます。
二項関係の場合、母親がモノを赤ちゃんに渡す、赤ちゃんが母親にモノを渡す、というように赤ちゃんは母親と直接モノをやり取りすることになります。
三項関係になると、例えば赤ちゃんが空にある雲を指して、母親がそれを見て「雲」だと応えます。
それは、両者の間で直接に雲をやり取りしている訳ではありません。
離れた場所にある雲に、同じように注意を共有して、雲を間に挟んでやり取りをしているのです。
こういった親子間でのやり取りが大事だということについては、また後で触れます。
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【対策】読書方法

2009.02.22(16:18)
(※1)一連の対策は、私の経験と今までに得た知識から立てたものであり、決して万人向けという訳ではありません。

私、ADHDというだけあって、じっとしているのが結構苦手です。

病院で発達障害の診察中も、椅子が、よくオフィスに置いてあるタイヤが付いてて回転するタイプだったので、ずっと無意識にユラユラ揺らしてて、指摘をされたりしました。
どうやら大人は普通、じっと座っているものらしいです。
(これ、絶対椅子が悪いと思うんですけどね~。だってこんなの動かずにはいられないよー!)

病院では、待合室とかでも、じっと待つのが苦手でモゾモゾ動いちゃってて(意識してみたらやっぱり動いてた(笑))、でも、動いていないと落ち着かないのです(汗)

小学生の時の通信票には、お喋りが目立つ、手遊びが多い、などと書かれてました。

しかし、ほんと家でも、じっとしていられないんですよねぇ。

ソファーや椅子に座ってじーっとテレビを見たり、本を読んだり、とか難しいです。
集中もあまり続かなかったりして、すぐ動きたくなってしまいます。
ソファーに座ってても、ソファーの上に体育座りをしたり、立ち膝したり、モゾモゾと動いてます。
映画とかを、家で一人で最初から最後までじっと見たこととか、ないですね。
(映画館や、誰かと一緒に見る時は、モゾモゾしながらもなんとか我慢をする。)

それじゃあ、映画やテレビのドキュメンタリー番組など、長いものを一人で見る時はどうするかというと、何かをやりながら、細切れに途切れ途切れ見るのです。
例えば、食事をしながら、アイロンをかけながら、書類を書きながら、テレビ雑誌をチェックしながら・・・、何かをやりながら見るんですね~。
こうしてないと落ち着かないんだけど、一石二鳥だし、いいかな~と。
(追記:集中しないと出来ない用事は掛け持ちは無理です。テレビに集中してしまうと食事が止まるし、雑誌に集中しちゃえばテレビは無理です。結局考えなくても出来るようなのと掛け持ちするのが良いと思います。それと、この方法だと、テレビは結局ちゃんとは見られません(笑))

本はですね、お風呂の中で読みます。
湯舟に浸かりながら読むのです。

これも一石二鳥で、私は湯舟の中でじっと温まっているのが苦手なので、本も読めて、温まることも出来て、まさに好都合なのです。
同じ理由で、歯もお風呂で磨いたりしています。

ただね、これやってると、本がちょっとふやけてくるんですよ。
あと、本はまだ落としたことないんだけど、しおりは何回も落としてます(笑)

それから、実は昔、人に借りた本まで、つい一度やってしまったことが・・・。
(ほんと、ごめんなさいー!)
その本を返す時、事情を話して友人に謝りましたけど、今考えてもひどい話だよねぇ。
(もうしませんよー!)

そういえば、受験対策用でお風呂で読める本もあるんですよ~。
あと、吉川晃司が前にテレビでお風呂で本を読むと言っていて、親近感を抱いた私です(笑)

お風呂で読むの、結構お勧めなんですけど、落とさないようにだけ気をつけましょう!
あと、ふやけるのが嫌な人は、止めた方がいいかもです。

ちなみに、昔、テレビや漫画で見かける、部屋に紅茶とか持って行って、クッションにもたれて膝かけをかけながら、まったりと本を読んで、くつろいだ時間を過ごす・・・みたいなのに憧れて、実際にやってみたことがあるんですけど、これが全くくつろげないんだ!!
なんか落ち着かないのよ~。
すぐモゾモゾソワソワ、その辺を動きたくなるし。
何故なんだろうと長年疑問に思っていたのだけれど、ADHDと診断をされて納得しました(笑)

なんか、一般的なリラックス方法が、合わないと感じることも度々あるのだわ~。
うーむ。
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そういえば「主婦」で「女」だった

2009.02.20(12:10)
トヨタの車のCMで、「私たち、主婦で、ママで、女です。」というのがある。

あれ見て改めて思ったんだけど、私、なんか自分が主婦って自覚が・・・ない Σ(゜д゜lll)

てか、「主婦」って言葉に違和感を感じたりもする。
なんか、モゾモゾするの。

なんでだろ?

普通結婚したら、特に何も思わず、主婦という言葉を受け入れるものなのでしょうか。
慣れ、なのかな。
えーと、私は結婚してからたぶん3~4年ぐらいは経つような気がするんだけど(いつも忘れちゃって旦那にヒンシュクを買っている)、もうちょっとすれば慣れるのかな。

てか、子供がいると違和感感じないのかな~。
だとしたら、いつ慣れるのかなんとも言えないな(笑)
(実は、子供が欲しいという感覚が、理屈ではなく、よく分からなかったりするのです。←これに関してはいつか書こうかな。)

懸賞に応募する時の職業のところも、「主婦」じゃなくて、たまに「自営業」を選んじゃったりして・・・。←って、働いてないじゃん!

なんか未だに、主婦って自分とは関係ない世界のような気がしちゃってんのかな。

そもそも、私は結婚に何の憧れも夢もない人で、「将来の夢はお嫁さん」とかいうのが理解出来ないタイプなので、そういうのがあるのかな。

結婚式も、特に夢も希望もなくて(面倒だからやりたくなかったけど親戚などの関係でやった)、旦那が大体決めてくれて、ドレスは母親が決めてくれた。
私のあまりのやる気の無さに、旦那がビックリしていた。
(どうやら、結婚式の打ち合わせとか、花嫁主導で決める方が多いらしいね。)
ちなみに、両親への手紙は、結婚式当日の朝に慌ててパソコンで打ってプリントアウトした(笑)←でも割と好評で、父親はしばらく持ち歩いてたよ。あはは、良かった。

子供の頃はどっちかというと男になりたかったし(今はどっちでもいい)、女性という意識がそもそも低いのかもしれない。
スカートも、「なんではかなきゃいけないの?」と抵抗する子だったし。
(ズボンの方が好きなんだよね。)
てか、最近、兄に性同一性障害かと疑われた(笑)
(それは違うよ~!てか旦那の立場は・・・。)

なんか、男でも女でもなく、中性って感じ?

しかし、世に浸透している「女性」のイメージを演出するのも、結構疲れるものだよね~。
根っから「女」をしてる人は凄いと思う!
でも、独身の時は、必要性から演出する機会が多かったように思うけど、結婚したらちょっと解放されたな~。

ボーヴォワールは 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」なんて言ってたけど、まぁ生まれながらに女ではあるけど、女になりきれていない人もいる訳ですな。
(ボーヴォワールのこの言葉に関しては長くなるから省略。)

しかし、あの車のCM、検索してみたら嫌いな人もいるみたいだね。
まぁ、ああいう風に女グループでつるむのは、私も結構苦手だったりするけどね。

あ、思い出したけど、友達皆が、私のドレス姿が想像出来ないとか言ってて、結婚式自体をちゃんとやることにも驚かれたりしたな~。
(いや~しかし、結婚式ってもう笑うしかないよね(笑)でも私ずっと笑ってたら、式の最中に友達に笑い過ぎって叱られたわ。←なんでだ~!?)
ちなみに、こないだ言われた私のイメージは、短パンでその辺を走り回っているイメージだそうです。
・・・って子供じゃん、それ!!
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1ミリのズレ(ツボは動く)

2009.02.19(13:51)
また治療の話です。
あ、念のために言っておきますが、私の話が絶対に正しい訳ではありませんのでご注意下さいませ。

よく雑誌やテレビなんかで、○○には××のツボが効く、なんてやってますよね。
あれ、大きな声では言えませんけど、正直言ってちょっと眉唾物です。

そもそも、ツボってそんな単純なものでもないのです。

まず、ツボって移動するのです。
日によってちょっとズレたりします。

だから、ツボの解説を見て、ここから何センチ(実際は何寸何分という単位を使うんだけど)という具合に押してみても、ズレてることがあるのです。

また効能にしても、本来ならその人の全身の体の状態を見てツボを決めるので、すぐさま○○だからこのツボ、なんて話でもないのです。
そして、その一箇所を押せば治るのかというと、それもそんな単純な話でもないのです。

つまり、まずは正しいツボの位置が分かるかどうか、それからそのツボの選択が今の体の状態に合っているのかどうか、それが分かっていないと効果は正しくは得られない、ということになります。
(全く効果が無いということもなく、多少は効果があったり、気休めになったりもするとは思う。)
これって多分ある程度知識がないと、難しいのではないかと思います。

ちなみに、ツボを探すコツとしては(ネットや本にも載ってるかと思うんだけど)、へこんでいる所とか、やわらかい所なんていいますね。

私は、感覚でここだって分かるんだけど、それって非常に説明しにくいです。
うーん、触ってみてつながっているというか、そこが効かせたい場所につながっていたりするのです。
あとは、なんか自然にひかれるんですよね。

自分で押す場合は、押した感じで分かると思うんですけど、気持ち良かったり、効く~って感じのところでいいと思います。
相手にやる場合は、確認しながらやればいいんでしょうね。

ツボの選択に関しては、本格的にやろうとすると難しいので、簡単な解説を参考にするしかないけど、これも、自分の押された感覚で、判断したら良いと思います。

ちなみに、私の場合ですが、実際の治療では、鍼を刺す時など、感覚的には1ミリずれただけで、全然違ったりします。
微調整が結構難しいのです。
あと刺す向きとかでも変わるし。

マッサージなんかだと、押す向きが重要だったりします。
指や手の角度をちょっと変えるだけで、効き方が違ってくるのです。

これは、私の場合、体が教えてくれるので、相手の方の体の声を聞きながら行っております。
つまり、感覚でなんとなく分かったりするのです。

今のところ、「やって欲しい所にやってくれる」「痛い所が分かってる」と言われたりするので、そこそこ合っているのだと思っています。
(もちろん、私がいつも合っているとは限らないと思います。)

だから、私はツボをここから何寸ぐらいの場所などと考えたりしていません。

しかし、このちょっとした場所や角度で変わるっていうのは、すっごく楽しいですよ!
相手の方の体から色々感じるのが、すごい面白いのです。
あと、あーこれ気持ち良いだろうな~とか、これ効いてるな~とか分かったりするので、それも楽しいです。

あ~話がまとまってないかもしれませんが、まぁツボはそう単純なものでもなく、結構奥が深かったりするのであります。
ちなみに、感覚で探す場合は、あんまり考え過ぎないで、感覚に任せてしまう方がうまくいったりしますよ~。

あ!私は何でも分かる訳じゃありません~!
それから、偉そうに語ってますけど、さほど経験を積んでいる訳でもなく、まだまだ半人前の身なのであります。
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場の空気は読んでいる

2009.02.18(14:21)
発達障害の人は、ADHDでもASなどでも空気が読めないとかいいますよね。

これって、そもそも「空気を読む」って何だ?ってことで、一言では片付けられないとも思うんだけど、そうしていると更にかなりの長文で論文みたいになっちゃうんで、今回は無視しときます。
(同様に、「心」の問題も定義が難しい。)

私、場の空気は一応読んでいるつもりです。
ただ、その自分なりに読んだものが、実際はその場に合っていなかったりするんだよね。

昔、就職した時に、先輩と一緒に、職場の大先輩の所にご挨拶に伺ったことがあった。
私は、先輩に連れられてその大先輩の部屋に入り、とりあえず挨拶をして、それからヘラヘラしながらその辺をうろちょろ動き回り、「ここの窓からは○○が見えるんですね~!」と笑顔で話し掛けた。

当時、私はフレンドリーにニコニコしていた方が、場の雰囲気が和んで良いかと思っていたのでした。

がっ!!!
後でこっぴどく怒られました。

その大先輩が、「あの失礼な奴は何なんだ!」とかなりお怒りだったらしいです。
(そんな人は今までいなかったそうです。)

私がいた職場は、上下関係が厳しく体育会系だったのだけど、ああいう挨拶の場では、普通は先輩の後ろでじっと立って大人しくしているものらしい。

私、知らなかったんですよ、そういう対応が正解だって。
普通は教わらなくても、知っているらしいけど。
(いつ、知ったんだろう?)

私は気を遣ったつもりが、全く間違えていた訳です。
これ読んだ方も、馬鹿だな~と思われるかもしれませんね(汗)

しかし、私が大失態をおかしていた時、先輩も大先輩も普通にニコニコして喋ってくれた。
そして、後になって、あの時はダメだったと怒る。
私からすると、分からんよ~それじゃって感じになってしまう。

しかも、直接言ってこなかったりもするんだ。
人づてに言ってきたり、噂で聞いたり。
なんで、直接言わないんだ~?とまた疑問になってしまう。
(この直接はっきり言わないってのが、ほんと謎なのだわ~。)

あー、難しいよーー!!

これが、立場のある人だったら、あの人はざっくばらんで気さくで面白いとなるのであろうが、私のようなペーペーがやると、ただヒンシュクを買い、怒られるだけなのである。

こういうミスは、職場以外でも何度かやっていて、完全にその場で気を遣うことへの選択ミスをしているのである。
いい訳を言わせてもらうと、一応気は遣っているのだけれど、その場で求められている気遣いじゃないのである。

つまり、視点や感性や自分の中での常識なんかがちょっと違うってことだと思うんだけど・・・。

日本みたいに、皆が同じ方向を目指すような画一的な社会だと、ちょっとズレたことをすると、目立つし叩かれる。
これが、外国だったら全く違うかもしれないのに。

まぁ、日本に住んでいるし、ある程度社会の常識とやらに従わないと生きていけないから、従うつもりだけど、もう、自分の中で多少ズレがある以上、学んでいくしかない訳だよね。
しかし、これって、ほんとみんないつ学んでんの?

うちの母親が、ちゃんと自分が教えていなかったかと、育て方に問題があったかと悩んだりしていたが、私には兄がいるのだが、兄は一般常識を備えているし、しっかりしていて、私とは全然違う。
という訳で、一概に育て方の問題とも思えないんだけど、昔問題を起こした時に、私が親にどんな教育を受けたのかと怒る人がいた。
すまん、母ちゃん。

色々あって、今は多少マシになっていると思うのだが、自分では分からないから何とも言えない。
あと、テンションが上がったりすると、思考停止して、勢いでガーッといっちゃったりするから、それもいけないんだろうな~(;´д`)
(しかもすぐ上がるし(笑))
やれやれ。
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むやみにカミングアウトはしない

2009.02.18(12:21)
昨日、R-1グランプリを見ていたら、鳥居みゆきが出ていた。
そこで、鳥居みゆきがアスペルガー症候群だという噂があるのを思い出した。
昔、鳥居みゆきを検索していた時に知ったのだ。

それを思い出してまた思ったんだけど、自分は、むやみにカミングアウトなんてするもんじゃないと思ってる。

いや、発達障害の知識や理解がある人とか、家族とか身近な人とかにはいいと思うんだけど、職場とか学校とか友人とか親戚とかご近所とか、わざわざ言う必要なくないかい?
(もちろんケースバイケースだけど。)

だってさ、アスペルガーのイメージで、鳥居みゆきが思われてんだよ?
(鳥居みゆきがマズイという訳じゃないけど、一般的にイメージはそんなに良くない気がする。)
他にも犯罪関連でアスペルガーの名前を知った人もいるかもしれないし、その人のアスペルガーのイメージはあまり良くないかもしれない。
そんな人に、アスペルガーってカミングアウトしたら・・・(((( ;゚Д゚))))
めっちゃ誤解されるよね??

昔、診断される前に、とある仲間内の飲み会で、私の言動の話になり(私がハイテンションでマシンガントークでちょっと変わってる、みたいな)、つい「あ~、私ADHDっぽいんだわ~。」と言ってみたら、みんな「ADHD?何それ?」という反応であった。
ま、そんなもんだよね。

ADHDだって、やたら『片付けられない人』みたいなイメージがあるように思う。
でも、私、片付けられまっせ!
そりゃめっちゃ整理整頓してる訳じゃないけど、掃除は大好きで、毎日やってますわ!
(料理作る方が嫌いだー!)

なんかさ、よっぽどちゃんと調べて知識ある人じゃないと、誤解されるよね?
広汎性発達障害なんて言われても「???」だよね。

ちなみに、私は家族と、ごく親しい友人と、前にやってたブログ仲間にしか話してない。
(旦那の方の家族には言うつもりは全くない。気の利かない出来ない嫁、とか思われててもいいやって感じです。旦那が解ってて味方でいてくれてればいいかな、と。)
私の家族だって、ちゃんと理解してないよ(笑)
でも、別に構わないって感じ。
まぁ、よっぽど興味なければ、調べたり理解しようとしたりなんて、しないもんだよね。
家族にとっては、私の特徴なんて分かりきってるから、今更って感じだし。
(私、家族には、診断に関わらず、昔から私という存在そのままを肯定されているのです。)

不思議なんだけどさ~、診断前の方が発達障害にこだわってたみたいなんだよね。
診断されたら、なんかどうでも良くなっちゃったというか(;´∀`)
うーん、まぁいいや~えへへ~ってなってんのかなぁ、また(笑)
(あ、ヤバイ、また阿呆モードになってまう~(汗))

あ、誤解ないようにいうと、アスペルガーがイメージ悪いって言ってる訳じゃありませんよ。
普通は、やはり「アスペルガー症候群?何それ?」だと思います。
「自閉症」なんて言葉を出したら、更なる誤解を受けそうな気もします。
でも、ドラマや漫画とかあるから、知ってる人は知ってるのかな。
(私見たことないんで、どんなものか知らないんです。)

ちなみに、泰葉もADHDかアスペルガーではないかと噂されてるみたいですが、私、最初に離婚会見を見た時に、あの奔放な感じが自分に似てる気がして、ちょっと親近感を抱いてしまいました。
あ、あそこまで痛くないし、似てると思ったのは一部だけだけど。
(あの会見を見た人が、私を思い出したらやだな~と思ったりした。)

あとさ、自分のことを「ADHD」というひとくくりで見て欲しくもないな~と思う。
だって、私、単に私の中に「ADHD」の要素があるだけで「ADHD」そのものじゃないもんさ。
そんな風に色眼鏡で見られても困るよね。
私を形作っているのは、「ADHD」(もしくはPDD)だけじゃないのさ~。
ヽ(´ー`)ノ
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いつだってギリギリだぜ、ベイベー!

2009.02.17(14:20)
昨日ふと気付いたら、鍼灸道具のセールの申し込み期限が、今日までだった。
うわっ!やばぁっっっ!!と慌てて、申し込み用紙に記入をして、今日出した。

あ、危なかったーーー!!

このセールは毎年やってるんだけど、去年は忘れてて申し込み出来なかったのだ。
気付いたらセール期限がとっくに過ぎていたのである。

だから去年に比べたらマシなんだけど、それにしてもいつもいつもギリギリである。

ちょっと前に、申し込みしなきゃと思ったのに、その後すぐ忘れちゃったのだ。
なんだかな~。

対策ちゃんと練らないとアカンね。
このブログのカテゴリ見れば分かるけど、まだ対策ちゃんと立ててないのだ。
対策本は今読んでるので4冊目なんだけど、もうちょっと読んでから策を立てようかと思って。
(今読んでる本が面白いから読み終わりたいのだ。)

しかし、このギリギリ癖なかなか直らない。
(先延ばしと忘れ癖のミックスになるのかな。)

こんな調子だから、懸賞の応募も、シールとか集めてても出すのを忘れてて、ほとんど期限が終わってから気付いたりする。
もしくは前日に気付いて慌てて葉書を書いたりして。(泣き入るよ、ほんと。)

子供の頃からこんな感じなんだけど(ほんと懲りないよねー!)、ちょっと対策立ててみたいな~。
って、手帳に書く対策をしようとして、既に書くこと自体を忘れてるって感じなのだが・・・。
いや、きっとなんとかなる!はず!!ダーッ!!!
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医師のことを頭から信じたりしない

2009.02.17(13:18)
(※また偉そうに長文で語ってるパターンです。自戒の意味も込めてます。誰かに対して、ということはありません。不快になられた方がおられましたらすみません。えっと長いので無理に読む必要は全くありません(汗))

タイトルの医師の部分は、たまたま医師にしただけで、学者でも、マスコミでも、親でも、友達でも、赤の他人でも、なんでも可です。

私は、子供の頃から、割とうたぐり深い性格で、何か言われたり学んだとしても、一度自分なりに吟味して頭の中で定義しなおさないと気が済まないようなところがあって、引っ掛かるとひたすら考えちゃったりする。
こういう所を、昔は哲学的なのかと思ったりしていたけど、今は単にそういう性癖なのだと思っている。
他の人が、そんなの考えたって仕方ないと流すことも、一々考えたりしていたので、話が合わないんだ、これが(笑)
そうかと思うと、大事なことは考えてなかったりする。
大学受験の時でも、大学のことに興味なくて全然調べないし、六大学が何かとか未だに分からない。
(何度聞いても忘れる。)
つまり、興味あることしか考えてないってことか。

って、また話が脱線しそうだから戻すけど、私はどんなに有名で有能な医師(その他諸々)だろうと、盲目的に信用したりしない。

昔、ちょっと珍しい病気に罹った時に、その病気を診察出来る医師が少なくて、患者が全国から数人の医師へ殺到をしていた。
その時、その中でも割と有名な医師がいて、私はたまたまその医師が主治医だったんだけど、周囲に信者みたいな患者が沢山いた。
皆、他の医師に否定されたり、病名が分からず、治らず、困り果てて辿り着いた人ばかりだから、まずは医師にその病気だと認めてもらった段階でほっとするらしい。
その医師は、患者の目を見て話をじっくり聞いてくれるタイプで、他の医師から話もろくに聞かないでぞんざいな扱いをされてきたような患者は、そういう点でも心をわしづかみにされるらしい。

患者の中には、その医師を「神」だと言う人達までいて、その医師の言うことは絶対で、その医師に否定的なことを言う人は敵であり、その医師を全面的に信頼していた。

私は見ていて恐いと思った。

私はその医師に対しては、有名な医師といえどもただの人だし、間違えることだってある、と割と冷めた目で見ていたのだが、しばらくして、ある事情から違う医師に診察を受けた所、その有名な医師に医学的に少々誤っていると思われる箇所があるということを知った。
また、医学界も色々あって、あまりあからさまに批判出来ないということや(非常に日本的だな)、色々と背景などもあることを知った。

私はその後、その有名医師からは離れて完治したのだが、こういう話を他の方に知らせても、その有名医師への信望は変わらないようであった。
そして、予後があまり良くない方も結構いたりした。
(その医師の治療がどうこうという訳ではなく、もしかしたら違う医師の元で違う治療をしたら良くなる可能性もあったかもしれないということ。病気というのはそう単純なものでもないので。)

確かに、その有名医師にも良いところはあるし、お世話にはなった。
だが、その医師だって間違えることはある。
ただの人間だもの。
神なんかじゃない。

でも、信じ込んでいる人達に、何を言っても焼け石に水である。
逆に、あまりしつこく言うと、恨まれることもある。

これは、カルト集団とかでも一緒だし、そこまで大袈裟にいかなくても、マスコミの言うことを頭から信じてしまったり、肩書が立派な学者の言うことを鵜呑みにしたり、その道のプロらしき人の言うことを真に受けたり、親の言うことは正しいとか、良さそうな人だから嘘は言っていないなど、日常では、よく見掛ける光景なのである。

誰々さんの話なら信用出来る・・・そう思ってしまうことは多いし、ある程度信頼をしないとやっていけない面はある。
でも、誰だって間違いは犯すのだ。

その人の全ての発言を鵜呑みにするのは、危険なことなのである。

良いところだけを参考にするのは良いが、悪いところまで取り入れることはない。
情報の選択は難しい問題ではあるが、知恵を持っていないと、簡単に騙され流されてしまう。

まずは、疑うこと。
そして、反対意見にも触れること。
それから、様々な意見を吟味し、検討すること。
人にアドバイスを求めることも大事だ。
検討した結果、信じて取り入れても、いつも違うかもしれないという可能性を頭に入れておくこと。
そして、もし間違っている可能性に気付いたら、勇気を持って軌道修正すること。

また、無知であることは罠にはまる可能性が高く、知識を身につけた方が良いことは言うまでもない。
段々と慣れてきたら、何が自分にとって良いのか分かるようになってくるものと思う。
直感を信じてみても良いが、直感だけを信じるのは危険である可能性もあることを覚えておいた方がいいだろう。

色々と言ったけど、一番大事なのは、気付いたらいつでも軌道修正が出来る柔軟さかもしれない。
また、人を信じる気持ちは大事なことだ。
要は、その「程度」が問題だと思うのである。
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悪魔と天使

2009.02.16(18:01)
私という人間は、そんなに良い人間でもありません。
人に対して、嫌なことを思うこともよくあるし、とても冷たいこともあったりします。

最近、ブログのコミュニケーションをするようになってきて、返事を書いたり、他の方のブログにコメントを書いたりしていると、なんだか私がまるで良い人であるかのように書いてる気がしちゃって、頭の中で、自分はそんなに良い人間ではないのに何調子良いこと書いてんだ(良い人ぶってんだー!)、といった葛藤が生じたりしてました。
ブログの記事でも、何良い人ぶって偉そうに語ってんだ、と思ったりもします。

えっと、私は別に良い人間でもありませんので、くれぐれも誤解のないように願います。
え!?そんなの分かってる?
いや、誤解されてなければ、構わないんだけど。

なんか自分の中で、変な葛藤があるのであります。

社交辞令や当たり障りのない会話は、本来苦手なんだけど、円滑な人間関係を目指して、ちょっと頑張ったりもしていたりするので、その辺のギャップにも、自分でモゾモゾしちゃうのかもです。

本当は敬語も苦手で、自然に敬語が出るようになったのも、三年ぐらい前からなのだ!
以前は年上だろうと平気でタメ口で喋ったりしちゃう人だったのだ!

あーーー良い人なんかじゃ全然ないんだー!!(叫)

ってちょっとスッキリしました。
いや、もしそう思われたら、それは誤解だし、そんなつもりないし、なんかモゾモゾするし、・・・ねぇ?

良い人みたいに書いてる時は、モゾモゾしているので、出来たら本当ははっちゃけて書きたいんだけど、それだと相手が不快かもしれないし、難しいね~。
(自分じゃ分かんないのよ~。)

あ、別に良い人ではないけど、その人と向き合う時は、ちゃんと気持ちを込めて書いてます。
嘘も言っていません。
その人とちゃんと向き合いたいと思ってます。

って、これ言いたいことをうまく書けているのだろうか?
あー、私、コミュニケーションやっぱそんなに自信ないんですわ。
自然にしてたら、ヒンシュク買いそうで怖いんだな。
相手の何が地雷なのか分かんないし、誰だって相手を傷付けたり、気分を害したりはしたくないよね。

こうやって学んでいくしかないんだろうな。
ブログでも色々学べたらいいな。

あ、私、良い人間とは思わないけど、自分で言うのもなんだけど、良い面もそりゃあると思ってますよ~、えへへ。
って、全く自己満足な内容だなこれ。
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障害者じゃない感じ

2009.02.16(14:19)
私は自称するのが嫌で診断を受けて、発達障害(ADHD)だと診断をされたが、ふと気付いたけど、「障害」とは付いているが、自分が障害者だと思ったことは一度も無い。
これって皆そういうものなのかな?
(障害名でも違うのかな。)

「発達障害」と名前が付いているのは、発達段階で、通常(多数)とは違う発達を経ていると推測される(小数)から、「障害」と付いているだけで、よく知らないけど、どっかの学者が判別しやすくする為に便宜上勝手に付けただけだよね。
身体と同じで、通常とは違う状態や、足りないと思われる状態を「障害」って呼んでるだけなんだよね。

でも「障害」=マイナスじゃないって前にも書いたけど、「障害」という字が付いているからって、劣っている存在という訳でもないし、何も出来ないという訳でもない。
障害と言われても、出来ることはあるし、もしかしたら通常より秀でた能力を秘めているかもしれないし、通常にはない能力を発揮出来ることもあるかもしれない。
(通常とは違う視点にも立てたりする。)
また、発達障害といえども、ある程度の知能があれば、不得手な部分も、カバー出来る可能性は高い。
失敗を重ねながらも、根気よく学習していけば、通常と同じ程度の能力を発揮出来る可能性はある。
その際は、メンタル面のケアも大事だと思うけど。
人間は多かれ少なかれ成長出来る存在だし、創意工夫をすることだって出来る。
通常とは違うやり方で、上手くいくことだってあるだろう。

前回、私の母が社交能力が高いという話をしたが、これは私にとても良い影響を与えたのだと思う。
うちは、父は社交が苦手なタイプで、私は小さい頃は父によく似ていたのだが、成長するにつれて段々と母に似てきた。
社交が苦手な自分が嫌で、変えようとした際に、母の言動が参考になっていたように思うのだ。

母は、旅行に行くと、旅先でも知らない人とすぐ仲良くなれるような人なのだが、子供の頃はそんな母を見て理解不能だと思ったし、知らない人が自分の領域に入ってくるのが嫌で堪らないし、そもそも自分にとっては予測出来ない事態であるし、迷惑だと嫌悪していたりした。
だが、今は別にそう思わなくなったし、気にならなくなった。
逆に、自分もお店とかで店員さんと仲よさ気に話すようにまでなった。
旦那に、母に雰囲気とかよく似ていると言われたりする。
(母のように、誰とでも仲良くなれて好かれたりはしないが。)

母の社交術が世間的に良いと思っている訳ではないが、すぐ仲良くなれて好かれる母を間近で見ていたのは、私にとって良い手本となり、良かったように思う。
また、母の要素を多少は遺伝しているようにも思う。
(父の方も遺伝しているのだが。遺伝を過大評価している訳ではないけど。)
あ、ちなみにうちの家族は仲が良い方だと思います。

って、やぁ、なんか話ズレちゃったけど、私は発達障害ではあるんだけど、気持ち的には「ADHDの特徴を持った健常者」(PDDの要素があるかもしれない健常者)という感じなんだよね。
うーん、だって身体障害者の方と比べたら健常者だし、私よりずっと重い症状の人や、辛い立場の人に比べたら、私は障害者とはいえないと思うよね。
あ~なんか深刻な方に比べたら、阿呆な感じですみませんっていうか・・・、うまく言えないけど。

あ、あと「障害」を違う漢字で書くことがあるみたいだけど、あれは何故なんだろう。
携帯からだと変換出来なかったけど、旧漢字なのかな。
ちなみに、私、携帯の文字を打つのがめっちゃ速いみたいで、たまに驚かれます。
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嫌われたり好かれたり

2009.02.15(15:29)
私という人間は、今までの経験から推測すると、好いてくれる人には割と好かれるのだが、嫌う人には割合に嫌われるようです。

って、そんなの当たり前だって!?

いや、自分の周りを見渡してみても、極端に好き嫌いという訳でもなく、なんとなく皆に好かれるタイプや、嫌われてしまうタイプ、または極端にどっちとも思われないタイプの人も、いるように思う。
ちょっと気が合わないと思っても、嫌いとまでいかない場合も多いしね。

うちの母も、以前聞いたら、嫌われる人には嫌われると話していたけれど、母はどちらかというと皆に好かれるタイプだ。
何かあると、親身になって心配してくれる人が何人もいる。
人徳ってやつなのかな~。
母の社交能力は、本当に凄いと思う。

私は、癖が強いのか、苦手に思われるというか、避けられるというか、厭われたりすることが、割とあったりする。

大体私のことを嫌うタイプの人は、似た感じの人が多いような気がしている。
○○の時は××すべしって感じで頭が割と堅い人とか、自分を抑えていてちょっと不機嫌そうな感じの人・・・かなぁ?
前にそういう感じの人に、「もけは眩し過ぎる」と言われ、避けられたりすることがあった。
私のテンションが高過ぎたり、天真爛漫のような感じが、対応に困るのかもしれない。

職場でも、そういう人が上司になると、上手くいかない。
たいてい怒られ、凄い冷たい目で見られる。(あの目、忘れられないわ~。うきゃー!)

掲示板などでも、良かれと思って書いたことで、ヒンシュクを買うことも度々あったので、いつもヒヤヒヤする。
ちなみに、前に主婦が集まる掲示板でネカマだと言われたことがあったと書いたが、母に話してみたら、私の発言の方に共感をされた。
親子だから、やはり似ているのだね~。
(母の方が、社交スキルは数段も上なのだが。)

反対に、私を好いてくれたり、可愛がってくれる人は、大体、受け皿が広いというか、受容量が多い感じの人だ。
旦那もこのタイプだし、今まで好いてくれた友達も、こういう人が多い気がする。
もしくは、あまり気にしないというか、流してくれる人。
てか、これって、うるさかろうが、跳びはねてようが、我が儘だろうが、変態だろうが、何だろうと、受け止めたり、流してくれる人ってこと!?
なんか単に自分にとって都合いいって感じだよなぁ(笑)

あ、この嫌われる・好かれるタイプ分析は、代表的な感じをあげてみただけで、これに当てはまらない人達ももちろんいます。
あと、そもそも私の考え自体が、勘違いの可能性も高いです。

んー、なんかうまくまとめられないけど、私という人間は、多分万人向けじゃなくて、私のことを不快に思う人も少なからずいて、でも私は仲良くしたいとも思うんだけど、なかなか上手くいかないもんだね~という話でした。
人間関係をそつなくこなせる人を尊敬するけど、社交辞令とかはあまり好きじゃないしな~・・・。
ある程度本音トークしたいと思うんだけど、それも難しいみたいだよね~。
あ~よくわからん!

私自身は、あまり気にしない人だと思うので、仲良くして頂けると嬉しいのです(´▽`)
あ!でも、相手を傷付けたくないしな~。
やっぱ難しいよな~。
(あ、誰とでも仲良くしたいとか、八方美人とかではないんよー!好きな人や仲良くなりたいと思った人と、仲良くなりたいだけで。)

あ、あと相手によって自己像って変わるから、私のことをのだめみたいだと思わない人もいるし、全然違う印象を持つ人もいる訳です。
この、相手によって自分が変わるという現象は、とても面白くて、興味を惹かれる話だな~。
またいつか書いてみたい。
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心と体の相関関係

2009.02.14(20:30)
また治療の話です。
反応があって、ちょっと調子こいてるかもしれませんが、コメントを求めている訳じゃありませんので、どうぞコメントはお好きな時にして下さいませ。

前回、コメントを頂いてまた考えてみました。
(こうして、人の考えに触れて、思考が飛躍出来たり、考察のきっかけになるのは、やはり素晴らしいことですね。脳には刺激というものは、一番の栄養なのです。刺激の種類にもよりますが(笑))

心と体が密接に関係し合っていることは、以前にも触れましたし、前回の記事とも多少被る内容となりますが、治療の効果に、心の状態はとても影響を及ぼします。

心に何かしらストレスを抱えていると、体にも影響が表れ、体を治療をしても、治りが悪かったりします。

そういう時、どうするか。

私は、のだめに似ていると言われるようなキャラクターなので(あの後母にも聞いてみたのだけど、やはり私はのだめっぽいらしい)、癒し系でもなく、カウンセラーのようなことは出来ません。
(カウンセラーの技術はプロでも難しいものだと思いますが。)

だから、私は、ちゃんと患者さんの話も聞きますけど、あとは頭のマッサージをします。

私のマッサージはちょっと変わっていて、祖父の技術を受け継いだような形で、あまり類を見ないような感じでもあるんですけど(多分その技術を伝承している人は居ないんじゃないかな)、頭をマッサージしていると、頭の中に溜まっていたモヤモヤが、取れるんです。

仰向けで、後頭部から、前、横、と大体全部いじるんですけど、最初すっごくつまってたり、澱んで黒々していたのが、やってるうちに、変わってきます。

今日やった感じだと、まずは通りが良くなって、足先まで通るようになり、体全体が軽くなります。
まるで、どんよりした雲って重苦しい空気だった体の中に、晴れ間が出てきてそよ風が吹く感じ。

それから更に進むと、また変化します。

今度は、雲一つない晴天の中を、浮上するような感じ。
短調から完全なる長調に変わります。
喜びの音楽が響き渡ります。
実際、私は楽しくなって、笑い出してしまったりします。

こうなると、ほぼ完全に悪いのが取れて、治療は終了です。
良かった、良かった。

ちなみに、治療される側はどんな感じなのか聞いてみたところ、最初に通りが良くなった段階で、目の前が明るくなって、更に良くなった時は、より明るくなって軽くなるそうです。

それと、もちろんこれは状態によって、かかる時間も違うし、よっぽどひどい時は、一度に最後の段階まで行かない時もあるし、かと思えば簡単に取れる時もあります。

ちなみに、私は普段から頭の中に音楽がかかっているような状態が多くて、オリジナルの曲が勝手に浮かんできたりもするのだけれど(オーケストラバージョンからポップスまで)、治療中もその状態に合った曲が浮かんできます。
既製の曲も浮かびます。
歓喜の曲が流れると、良い状態になったことになります。

体が軽くなると、心も軽くなるものなのです。
その逆もしかり。

よく医者に「気のせいだ」と言われて、怒る人がいるけど、「気のせい」は多いに起こり得ることなのです。
もし、心が晴れない時があったら、運動をしたり、治療を受けたり、温泉に浸かったり、体をメンテナンスしてあげるのも、効果がありますよ。
(うつ病などとなると、また違ってきますが。)

そして、体の状態は心にも響きますから、どうかみなさま身体の方にも気を配って、心身共に健康に注意をなさって下さいませ。

うーん、これってちょっと鍼灸師っぽい?(笑)

あ、あと私の治療が素晴らしい訳でも、優れている訳でも、全くありません。
まだまだ修業中の身であり(一生修業中だけど)、私は万能という訳ではなく、私が治せない人も、合わない人も、もちろんいる訳です。(多分沢山いることでしょう。)
また、自分が特別だとも思っていなくて、少数派だと思っているだけなので、どうか誤解なきようにお願いいたします。

(追記:えっと、私がいくらのだめっぽいとはいっても、治療中は真面目に対応するし、あまり変な言動はしないように注意しております。)
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人は自分の手駒ではない

2009.02.13(19:58)
※またもや長文語りモードです。
自分のことは棚に上げまくって偉そうに語ってますが、自戒の意味も込めて書いています。
誰かを想定している訳でも、誰かに向けてのメッセージでもありません。
もし気を悪くされた方がおられましたら、申し訳ありません。
好き勝手に言っているだけなので、どうぞ無視して下さいませ。
それと、内容を詰め込み過ぎて、ダラダラと長くなってしまっているので、無理に読む必要は全くありません。
勝手ばかり言ってすみませんが、よろしくお願いいたします。
(この前置き、一々要らないのかもしれませんが、一応載せておきます。)

これは発達障害に関わらず、前々から思っていたことなんだけど、他人が自分の意に沿わない言動を取ると、すぐに、怒ったり、不満を言ったり、愚痴を言う人間って、世の中に割合と多く見掛けるものだ。

でも、思うのだ。
そもそも、他者というものは、自分の予測や願望とは違う言動をする存在だろう?

何故人は、自分とは違う存在や、自分の意見に沿わない相手を、すぐに、否定したり、非難したり、排斥しようとするのだろう。
(これは、歴史的にも、繰り返し起こっていることだ。そして、犯罪の原因にもなる。)

私が結婚して一番に改めてしみじみと学んだことは、「人は自分にとって都合良く動く存在ではない」ということだ。

昔、とある事情が生じた時に、参考までにと主婦が集まる掲示板を覗いてみたら、旦那が自分の思い通りに言動してくれないとか、自分の気持ちを解ってくれない、と愚痴をこぼしている人達が沢山いた。
自分には、なんだかよく分からなかった。
だって、そもそも相手が自分の思惑通りに言動してくれる訳なんてないし、エスパーじゃないんだから言わなきゃ気持ちなんて解る訳がない。

相手に要望があるなら、まずは言わなきゃダメだ。
言わなくても分かるなんて、そんなの幻想だ。
言ってダメだったとしても、言い方や、態度や場などのシチュエーションを変えれば、多少解ってもらえるかもしれないし、譲歩してくれるかもしれない。
そして、もしどうしても解り合えないのだとしたら、それはしょうがない。
往々にして、そういう行き違いは起こるものだ。
ある程度の諦めは必要だし、それに堪えられないなら関係を解消するしかない。
(全てを解り合えるなんて幻想だ、と私は思う。)

そして、人間関係はギブアンドテイクで成り立っている面もある。
求めるばかりでは、ダメなのだ。
あなたは、相手のことを解ってあげられているのか?
あなたは、果たして、相手の気持ちを尊重し、相手の求めることをしてあげているのか?
どちらも一方的であれば、片方に負担がかかり、破綻してしまうのではないか。

こういうことは当たり前のことだと思っていたのだが、そうでもないらしい。
もしくは理屈では解っていても、感情が抑えられないのか。
確かに感情とは厄介なものだが、どうか、まずは一呼吸置いて、少しでいいから考えてみて欲しい。

ちなみに、私はその主婦が集まっている掲示板に、このような内容を語った訳でも、説教じみたことを書いた訳でもないのだが、流れとは少し違う意見を書き込んでみたら、女の気持ちが分かってないからネカマに違いない、などと非難をされてしまった。
(その後、別にもういいや、と思って反論せずに立ち去りました。)

立場が違えば、見解が違うのは当たり前だろう。
性格や、考え方、経験や知識は、皆それぞれ違うのだから。

そして、違うからこそ、世の中は面白いのだろう。
違うからこそ、世の中は素晴らしいのではないか。

自分と違う意見や考え方だからといって、余程人道的にひどいとか、犯罪性があるという訳でもないのに、すぐ頭から非難をするというのはどうかと思うのだ。
そして、いくら非難したからといって、その人がその後自分の思い通りに言動をする訳でもないだろう。

自分と違う見解や立場といえど、基本的に人として尊重すべきだし、もしかしたら、その人の見解から学ぶこともあるかもしれない。
また、一部に意見の相違があるからといって、その人と意見が全て違うという訳でもあるまい。

違う意見に触れるのは、成長のチャンスでもあると思う。
自己を省みることが出来たり、相違から自分の特徴を知ることも出来る。
または、自分の思い込みに気付くかもしれない。

違いを受け入れることは難しいのかもしれないけれど、排斥をすることは、お互いの成長の機会を奪ったり、独断に陥ったり、といった負の面があると思う。
また、もし受け入れるのが難しいのだとしても、自分と違う人間を見掛けても、そっとしておこうとすることも出来るはずだ。

そして、もしその人に対して自分の意見を言う場合には、怒りや非難の感情任せにしたりせず、その人に対しても、人としての尊厳は持ちながら、冷静に(出来れば論理的に)行ってみて欲しい。
頭から決め付けたりしないで。

怒りには怒りが、笑顔には笑顔が返ってくる。
これは、接客業をしていた時に、学んだことだ。

人に勝手に過剰に期待をしても、裏切られることは多い。
人とは、そうそう自分の思い通りには、動いてくれない存在なのである。
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感覚の世界と自閉症スペクトラム

2009.02.13(12:39)
私は、自分の持つ感覚の世界の由来が知りたくて診断を受けたようなものなんだけど、最近一連のこの感覚には、自閉症は関係ないのかもしれない、と思い始めた。

自閉症由来かと思ったのは、高機能自閉症者のドナ・ウィリアムズさんの感覚の世界観が、私の感覚の世界観と似ていたからで、自閉圏から来ているのかと疑っていたのだが、もしかしたら、関係ないのかもしれない。
(ADHDが関係する可能性や、また、そもそも発達障害は関係ないのかもしれない、と思い始めた。)

ただ、ドナさんは自身と同じような感覚の自閉症者達と、やたらとよく出会ってるんだよね。
うーん、何故だろう。

私も一応、広汎性発達障害の疑いがあるということで、自閉症の要素があるのかもしれないのだが、彼女達とは違うのだろうか。
こればかりは、彼女と実際に会える予定もないし、彼女や彼女と同じような人達とも比べようがないから、分からない。

ただ、彼女が紡ぐ言葉の連なりは、私の中ではとてもしっくりと来るし、やはり似ているような気はするのだ。
彼女の自閉症的な感覚の諸問題や、日常の困難さなどは、私とは違ったりもするのだが、感覚の世界観だけは似ているのである。

いつか、これが何なのか分かる日が来るのであろうか。

ちなみに、私には少し共感覚的要素もあるように思う。
これは、赤ちゃんの時には少なからず持っていて、大人になっても少し残っていたりするものらしいのだが、私にも少し残っているように思う。

本来の共感覚者のように、はっきりと文字に色などが見える訳ではないのだが、子供の頃から、文字や数字、音や人などに、色や形、質感や音階などのイメージが自然と浮かぶ。
みんなそういうものなのかもしれないけれど。

余談ではあるが、昔ピアノを習っていたのだが、絶対音感があって、ソルフェージュの音の聞き取りが得意でもあった。
指が開いてタッチも強かったので、音大に行くことを勧められたりもした。
(ピアノの指使いは、今マッサージの役に立っている。)

私は感覚の世界に身を任せているのが、本当に心から楽しく、私が存在し、生きることへの、根本的な喜びや意義となっている。
言葉にするのは難しいのだけれど、この感覚を言葉で残しておきたいと思う。
本当は、絵画や音楽、詩などで表現する方が相応しいとも思うのだが、私にその才野があるとも思えないので。
ただ、最近は自己満足でいいから、挑戦してみてもいいかもしれないと思い始めてもいる。

そして、どこかでこの同じような感覚を持ち、周りに同じような人がいないと寂しく思うあなたに、ここに同じような人がいるということを、ただ伝えられたらいいと思っている。
それから、この感覚の世界を知らない人にも、いくらかでも、この世界の素晴らしさを伝えることが出来たなら、嬉しく思う。

(追記:私の一連の感覚の話を読んで、ちょっと頭がおかしいんじゃないかとか、妄想だ、などと思われる方がいても、当然だと思っています。だからこういった話は、外では滅多にしません。どうか、不快に思う方は、読まないことをお勧めいたします。)
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治療と信頼関係

2009.02.13(11:41)
この間、治療の感覚の話に数人から反応があって、とても嬉しかったので、また治療の話を書いてみます。
そもそも感覚の話がしたくて初めたブログなんだよね。

さて、治療をする上で一番大事なのは、施術者と患者さんの信頼関係です。
こちらを信用して心を開いてくれないと、やはり効きが悪いです。
それと、本当に心から治療が受けたいという気持ちがないと、これも効果は薄いです。

これは、プラセボとかいう問題ではなく、実際問題として、そうなのです。

実際に、気が進まないのに治療を受けているのは、こちらにもすぐ伝わります。
なんていうか、すっごくやりにくいのです。

治療の効果もなかなか出なくて、通り(つまってるのが取れてスーッとなる)も悪いし、なんともいえない拒絶感が伝わってきたりもします。
打っても響かず、まさに暖簾に腕押し状態です。

昔、紹介で来られた患者さんで、鍼をやったんだけど、なんかやりにくいな~とは思いながら、一応大丈夫か確認をしながら治療をしていたことがあった。
で、治療も中盤に来て、後頭部の下辺りに鍼を刺そうとしたら、私の手が、いきなり、まるでアルコール依存症かのように、大きくブルブルと震え出してしまい、鍼が打てなくなってしまった。
おかしいな~と思ったら、患者さんから、怖々と「頭は勘弁して下さい。」と言われた。
どうやら、鍼が怖くて嫌だったらしいのだが、紹介された手前、言えなかったらしい。

しょうがないので、マッサージに切り替えて、治療をした。
良くなったから良かったけど、我ながらビックリした。
当初は訳が分からず、自分の手がどうにかなってしまったのかと思った。

患者さんの気持ちの状態が、何故だかこちらにも伝わるのである。

うちの旦那にも鍼をしていて、やはり治療をしていておかしいと思って聞いてみたら、鍼はあまり好きじゃないと言う。
以来、旦那にはマッサージをしている。

反対に、信頼して身を任せてもらえると、とてもやりやすく、気持ちの良い空間が生まれ、体にも気持ち良いものが流れやすくなる。

という訳で、皆さんもどこかで治療を受ける際は、まずは相手のことをとりあえず信頼してみましょう。
で、もし治療を受けて、合わないとか不信感があったなら、効果は出にくいので、そこは行くのは止めた方がいいと思います。
何度か行っているうちに信頼感が芽生える場合もあるので、余程合わない場合でない限り、まぁ大体三回ぐらいは行ってみて、様子を見てみたらいかがかと思います。
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私にとって快適な職場環境

2009.02.12(21:31)
私は、正社員として働いたことが、1年以上ありません。
大卒で入った会社には、9ヶ月しかおらず、その後専門学校を卒業してから入ったところでは、4ヶ月程しかいませんでした。

前者は人間関係で悩み、ノイローゼになりかけて辞めて、後者は、またもや人間関係で悩み、心身共に疲れて病気になって辞めました。
両方共、入りたくて入ったところなんだけどね。

バイトも、クビになったことが2回、なりかけたことが1回あって、まぁこれだけ見ると、ほんとダメな人って感じですよねぇ・・・。

そんな私ですが、トータルで5年ぐらい続いたバイトがあります。
某会社で、社外への派遣業務と、会社内での事務作業をしていたんですけど、そこでは長く続いてベテランとなってました。

そこの会社は、若い女性社員ばかりで、男性社員は数人しかいないんですけど、みんな結構適当というか、なんか割と緩い会社だったんですよ。
仕事中にお茶飲んで、雑談ばかりしていて、仕事の愚痴も言いたい放題みたいな、とても自由な雰囲気の会社でした。
(今はきっと違うんだろうな。)

仕事が忙しくない時とか帰りたくなったら帰っても良かったり、仕事中なのに頼まれてお使いでお菓子買いに行ったり、自由気ままな感じでも大丈夫で、まぁなかなか無いですよね、こんな会社。
自分より年下が多くて、年上は数える程しか居なかったんだけど、居る人達も良い人ばかりで、明るくて楽しい和気藹々とした雰囲気の職場でした。

ここでは、みんなと仲良くなって帰りに飲みに行ったり、バイトだけど社会保険にも入れてもらえて、優遇してもらって楽しい思い出が多いです。

あとは、電気屋のバイトもやってたんですけど、ここも社員さん達がめちゃくちゃ優しくて、私は掃除ばっかりしてて、商品の知識とか全くないので、話し掛けられても社員さん呼んでくるだけで、あとはレジ打つぐらいだったんだけど、なんだかみんながとても優しくしてくれた。
テスト期間中なんて、1ヶ月のうちに、3時間しか働いてなくて、時給800円で給料が2400円なんて月もあったのに、なんでだか分からないけど、全く咎められなかった。
ここは学校が忙しくなったりして、結局辞めちゃったんだけど、ここでもみんなで飲みに行ったりとかもして、とても居心地が良くて楽しかった。
もしかして、向こうは良く思ってなかったかもしれないけどね(笑)

いや~~~、結局緩くて優しい職場しか長続きしてないってことなんだよね。
なんだかね~・・・。

今は手に職を持っているので、一人で仕事が出来るので助かっています。
やっぱり集団行動は苦手だな~。
(母親にも散々あんたは集団行動ダメだから・・・って言われるんだけど。)
閃いて勢いで学校に入って取った資格だったけど、資格を取っておいて本当に良かったと心から思っております。
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定型発達の基準で決めない

2009.02.12(15:51)
(前回、前々回からの続きです。)

そう!結局私はタイトルの言葉に辿り着いた。
(ここまで来るのに、ぐだぐだと長くてすみません。てかマジ長っ!!)

つまり、定型発達の理想モデルと比べて、「出来ない」と決定していることに無理があったのであ~る。

そんなことしてたら、出来ないばっかになっちゃうじゃん!
定型発達の人だって、そりゃ、理想モデルと比べてたら出来ないばっかになるだろうよ!

いや、そんな理想モデルじゃなくても、最低限モデルでも「出来ない」になるかもしれない。
そんなこともしょっちゅうだろう。

でも、でも、でも、である。
最初からハードルを低く設定しちゃえばいいんじゃない!?

って、これ皆普通にやってるの??
すみません、私、発達障害と診断された暦がまだめっちゃ短いし、他の方のブログやら掲示板やら普段ほとんど覗いていないので、発達障害事情がよく分かっておりません。

うーん、まぁ他の方々はどうだかよく分からないのだけれど、普通5ぐらい出来るものを、2~3、もしくは1でも良しとする!みたいなのがいいんじゃないか、と。
最初から設定を低くしとけば、通常の基準と比べて凹むこともなく、「お~今日はまぁまぁ出来たね~。」ってなるのではないか、と。

当たり前っちゃー当たり前な感じだけど・・・。

そうして、低い設定で始めて、習慣化して段々出来るようになってきたら、ちょっと設定上げればいいんだよね。
で、一度に頑張らないで、一日一つぐらいにしておく。

あ、私は小さいシールを用意してあって、出来たらシールを貼るようにしたりしてます。
・・・って、シール貼ることを忘れてますが(笑)

3回に分けて語ってきましたが、まーこんな感じになりました。
またもうちょっと考えてみて、良い考えが浮かんだら、書いてみます。

なんせ、言葉で順序だてて考えるのがどうも苦手で、なんだか気付いていないことも多いみたいなんで。
まぁいつだって、後から、「あ、ああすれば良かったのか!」なんて気付いたりするもんなんですよね。

で、結局何を出来ないものとして受容するか、というのは、なんだかうやむやになってしまいました・・・。
すみません・・・。
これから、悪戦苦闘をしながら見極めていこうと思います。
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障害だからと諦めるもの

2009.02.12(15:49)
(前回からの続きです。)

前回、何が苦手であり、何が出来ないのか、と考えてみたけれど、結局主観という一見頼りなさげなものに頼るしかないという結論になった。

で、実際判別していくと、今現在困っているものに焦点が当たる。
今私が一番困っているのは、時間の管理についてだ。

細かい部分は端折るけど、最近は、ブログにはまってしまって、家事やその他のことがおろそかになる事態が生じていた。
何かに夢中になると、寝食もおろそかになりがちだ。
同居人がいるから良かったけど、監視の目がなくなったら、ちょっと怖い・・・。

これなどは実際困っているので、苦手であり、ある程度出来ない部分に入るのだろうか?

しかし、今ADHDの対策本を何冊か読んでいる最中なのだが、こういう本に対策が載っているので、これを「出来ないもの=しょうがないから諦める」としてすぐ片付けるのは、尚早だと思われる。
対策を立てれば、今よりきっとちょっとはマシになるはずだ。
すると、これは「出来ないもの≠しょうがないから諦める」となる。

この方式で、対策が立てられそうもないものを、「出来ないもの」としていけばいいのだろうか。

例えば、自分は「確定申告」のような、数値を記入して計算して・・・といった書類が大の苦手である。
以前、開業していた時分に、ぎりぎりまでやらないで、直前になってパニックを起こし、泣きながらあちこち電話とかして助言を請いまくり、結局出さなかったことがある・・・。(うわー!)
まぁその時は開業したばかりで、収益がほとんどなかったので、大丈夫だったのだが、今でも「確定申告」と聞いただけで、体が硬直し、顔面蒼白になる気分だ。

この件に関しては、本当に心底苦手であるし、今はしっかり者の旦那がいるので、旦那に任せてしまえばいいのか、とも思える。(うちは家計は旦那が全て仕切っている。私は旦那の給料の額も、お金がいくらあるのか、とかも興味もないし、全く知らない。)
でも、これも以前税務署で相談をしたら、手伝ってくれるようなことを言われたので、早めに税務署に行って相談をすれば、もしかしたら、自分で出来るのかもしれない。(かなり気が重いが・・・。)

うーーーーーん、どうなの???(笑)
やっぱ難しいもんだね。
例えが悪いのかな。

それから、相手がいるものや仕事とかだと、尚更開き直らないで、対処しなくちゃいけないよね。
例えば、遅刻とか、さ。
相手に迷惑をかけちゃいけないし、仕事に支障をきたしてもマズイ。

すると、多分、自分にしか迷惑がかからないようなものを、「出来ない=諦める」にすればいいってことになるのだろうか。

なんだろ?それって。

いや、そもそも、私は根本から間違えていたのだ。
「出来ない=諦める」というのは、「全て諦める」ではないのだ!

(長くなってきたので、また思わせぶりに続く・・・。)
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何が苦手で、何が出来ないのか

2009.02.12(15:39)
昨日、「出来ないものは出来ない」と開き直ってみた私でありましたが、コメントを頂いてからまたちょっと考えてみました。
(anneさん、考えるきっかけをくれてありがとう!)
また、言葉が出てくるままに文章を綴っているので、後で考えを修正することもあるかも、です。
(なんか文章が勝手に浮かんできちゃって自動筆記みたいな状態になっちゃうのですが・・・、みなさん、そういうものなんですかね?)

まず、何が苦手で、何が出来ないのか・・・。
改めて考えてみると、・・・よく分からない。

一応、私の中に発達障害的特徴をいくつか見出すことは出来るのだけれど、それをずらずらと並べてみたところで意味はないと思うし、そもそもそれがどの程度のものなのかが分からない。
発達障害の診察に行く時は、ネットで見た症状で、今までの経験や自分の特徴と思われるものから、同じようなものを書き出して持って行ったので、臨床心理士の方に「自分の特徴を分かっている」と言われたけど、実際はよく分かっていない面もある。

発達障害の特徴なんて、発達障害じゃない人だって多少持っていることもあるものだと思うし、自覚していたからといって、それが障害と言われる程の程度かどうかなんて、自分ではよく分からないよねぇ??

たぶん、生活に支障が出る程度、ということなんだと思うけど、これもちょっと判別が難しくないだろうか。
何故かというと、「痛み」と同じで、主観が入るからだ。

痛みというものは、外からは見えない。
患者が訴えるものを根拠とするしかない。

それと同じで、こういう特徴がある、と言っても、それがどの程度なのかは、客観的にも分かり易い出来事がないと、主観だと、どの程度なのかは分かり難くないだろうか。

例えばコミュニケーションが苦手、だとする。
でも、これは相手によって、同じような言動をしても、上手くいく時と、上手くいかない時と、大分結果が変わってくると思う。
対「人間」相手のものは、相手によって大分変わってくると思うのだ。

分かり易い例として、ADHDの症状と言われている「忘れっぽさ」を挙げてみる。
これなどは、対「人間」というものでもなく、回数など自覚しやすく、また通信簿などにも「忘れ物が大変多い」などと書かれていたりすれば、判断の目安にもなる。
遅刻癖も時間という分かり易いものがあるから、そこから頻度を見ていけば分かり易いように思う。

しかし!程度ってある程度主観が入り易いし、やはり分かり難いものであるように思える。
もしかしたら、環境の影響も多分にあるかもしれないし。

まぁ、実際は、自分が困っているかいないか、で判別するものなのかもしれない。
どのくらい困っているかで、自分の中で「苦手である=出来ないもの」として認識されるんだろう。
つまり、やっぱり主観という、ちょっと数値的には分かり難いもので判別するしかないのだわね・・・。

(長くなりそうなので、次回に続く。)
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出来ないものは出来ない!

2009.02.11(11:13)
昨日ついぐだぐだと長文で語ってしまいましたが、あれからまた色々考えていたら、「あー!もうぐじぐじ考えてんのめんどくさいっ!!出来んもんは出来んわー!ガーッ!」となりました(笑)
まぁ、こういういい加減さがあったからこそ、今までのほほんと生きてこられたんでしょう。(って開き直りか?(笑))

もしかして、言ってることちょっとちゃうやん!と思う人もいるかもしれませんが、いつも、一応初めに考えてるんだけど、書いてるうちにどんどん言葉が浮かんできちゃって、そのまま書いてしまったりしてるもんで(まさに脳内垂れ流しだ~!)、後から考えたら多少変わることもあるのでございます。
軸はぶれてないつもりなんだけど・・・。
どうもすみません。
(人は日々成長し、変わるのです。なんて、単なる言い訳ですかね。)

ま、いくら努力しても出来ないことはある。
出来ないものは出来ないんだよねぇ。

ADHDの本にもそういうことが書いてあって、出来ないことで人に頼めるものは、無理にやるよりも頼んでしまおうと書いてある。
確かにそうだよね~。

あと、人に向かってこの台詞を言っても、時と場合によっては叱責を受けてしまうと思うんだけど、自分に対して言う分には別にいいんじゃないかな。
だって、出来ない自分を責めたり、出来なくて落ち込んだりするのを、回避出来ると思うのだ。

出来ないもんは出来ない!と開き直るのも、大事なことだと思う。

もちろん、最初から諦めるのとは違うよ。
ただ、能力には限界があるからね。
自分の能力を度外視した高い目標を立ててもしょうがないし、能力的に難しいことは、人に頼んだり、ある程度諦めて受容するしかないよね。

やっぱあれか!?いい加減でいいってことかしらん??(笑)
という訳で、これからも適当に、小人と共に、マイペースに自分らしく生きていきたいと思います。
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診断名に囚われない

2009.02.10(17:24)
私はADHDと診断をされているが、広汎性発達障害の疑いも指摘されており、もしかしたらもしかして、違う医療機関の違う医師に診察を受けたら、ADHD傾向のあるアスペルガー症候群とか特定不能の広汎性発達障害だと診断をされる可能性もあるかもしれない。
(臨床心理士さんにもその可能性を指摘された。)
成人の診断は、正確な幼少期の様子を直接に観察出来る訳でもなく、資料も少なかったりするので、難しい面もあるだろう。
(幼少期であっても難しいだろうとは思うが。)

ちなみに、私は子供の頃は今と性格などが大分違っていた。
以前にも触れたが、幼稚園や小学校低学年まで、私は同級生と交わることもなく、友達が一人もいなかった。
小学生の頃、同級生に根暗と陰口を言われたこともある。(とても嫌だった。)
中学生の頃など、休み時間はいつも更衣室で一人で時間を潰していたこともあった。
昔は家でもイライラして、機嫌が悪かったり、皆で出掛ける時も一人で家に残ったりしていた。(今はそういうことはない。ただ、家など内輪ではふざけたりとか割合明るい面もあって、今のような要素もあった。要は外に出ている割合、かな。)

段々と変わっていき、割合社交的で明るい感じの、今のような人間になったのは、20代中頃ぐらいからだ。
それは、様々な体験や、意識して自分を変えようとし続けたこと、また元々持っていた性質の影響も大きいのだと思う。
(性格は変えられるという見解の心理学があるが、私は実体験からもそれはある程度可能だと思っている。)

まぁ、私の性格とかは別にどうでもいいんだけどさ(笑)、もしかしたら違う診断名になる可能性もあるのかもしれないが、自分としては診断名には特にこだわっていないので、他の医療機関に行くつもりもないし、これで満足している。
自分は、自称するのが嫌だっただけで、専門家から客観的に見て、発達障害である可能性が有るのか無いのかが知りたかっただけだから。

発達障害の症状は、発達障害ではなくても当てはまるものも多いので、やはりちゃんと専門家の意見を聞きたかったのだ。
また、診断をされてから本を見ていて知ったが、ADHDと広汎性発達障害の特徴は、似ているものも結構多い。

違う診断名であっても、困っている症状によっては、その症状に合った対策を参考にすることは、大いに有効だと思う。

そもそも、私の中で、発達障害というものの存在は、あまり大きなものではない。
引き出しでいうと、真ん中辺りか、もっと下の方になる。
何故かというと、私という人間は、「発達障害」そのものではないからだ。

例えば、アスペルガー症候群の人を見た時に、私はその人の障害名を見ている訳ではない。
私は、その人の人間性を見る。

障害名は、その人の一部の特徴を示しているだけで、その人の全てを表している訳ではないと思うのだ。

また、発達障害の特徴を全て備えていて、本の通りである人なんて滅多にいないと思うし、私はその人に向き合う時、障害を考慮はするが、障害だけを見たりはしない。
それぞれ、性格も能力も環境も全く違うのだから。

障害名は一部の特徴を示しているに過ぎない、だからこそ、障害名に囚われることはない、と私は考える。

本来、診断されたことを生かさなくては、診断をされた意味がないのではないか。
以前にも触れたが、診断名を対策などに使用するのは良いと思うのだが、あまり必要以上に気にし過ぎても良いことはないような気がする。
診断されたメリットを重視するべきで、デメリットだけを重視してしまっては本末転倒だ。

人は誰しも成長する可能性を持っている。
歩みは遅くとも、少しでも成長出来るものだと私は信じている。
そして、努力をする過程がとても大事だと思うのだ。
障害だからと初めから諦めてしまうことのないように、診断名に囚われることなく、対策を練りながら、私は自分の可能性を信じてみたいと思う。
何も完璧を目指す必要は全くなく、少しでも上手く出来たり、気持ちが楽になれたら、良いだろうと思うのだ。
やはり、視点はいつだって一つではないと常々思うのである。

余談だが、発達障害をよく知らない定型発達者にとっては、診断名はさほど意味のないものに聞こえることも多いだろう。
だが、そんなものだと私は思っている。

あ、それと自分は割といい加減な人間なので、そんな厳密に努力してる訳ではありません(笑)
適当に頑張るのが好きです(´ー`)

追記:あ!これはあくまでも私個人の考えであって、誰かを想定している訳でも、誰かに考えを押し付けているつもりも、全くありません。
単なる一個人の見解として、適当に読んで下さると有り難いです。
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光の粒になる

2009.02.09(17:12)
また頭の中に言葉が勝手に浮かんできたので、載せてみます。
今まで言葉が浮かんでも書き留めてなかったんだけど、こういうのもいいかもしれない。
またもやただの自己満足な詩(?)なので、上手い訳ではありません。
(曲も色々浮かぶので、書き留めてみたら面白いかもしれないな。)


「光の粒になる」

私は音楽になる。
音になって、メロディを奏でる。

私は光の粒になる。
色んな場所に、キラキラと降り注ぐ。

私は風になる。
山も海も森も越えて、空高く飛んで行く。

私は木になる。
地面から水を吸い、葉を力いっぱい広げる。

私は石になる。
丸くてスベスベしたもの、ゴツゴツしたもの、全ての石に。

私は鳥になる。
唄いながら、あなたの所へ、綺麗な木の葉を運ぶよ。

私は何にでもなれる。
でも、あなたにだけは、どうしてもなれない。
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のだめと浮かれ小人

2009.02.09(15:28)
えー、今日の日記は自意識過剰気味というか、どうでもいい内容の長文なので(って、いつもか!)、もし読もうという方がおられましたら、どうぞ適当に流し読みして下さいませ。

昨日ポジティブについて触れたけど、試しに旦那に私のポジティブ度を5段階評価で聞いてみたところ、4だそうです。(なんと!)

そういえば、昔病気をして一ヶ月近く入院していたことがあるんだけど、その時婦長さんに「もけさんは、ほんとに明るくて前向きで元気があって感心します。」みたいな感じで、えらく褒められたことがあったんだけど、その時は、自分が特別明るいとも元気だとも思わなかったので、「へ~、みんなそんなに元気なくなっちゃうもんなのか。」と思ったことを思い出しました。

やっぱ人から見た感じと、自分で感じる自己像って多少違うもんなんだね。

あ、でもこれは一応、鍼灸師なので、病気に対する心構えとかが出来ているというか、西洋医学も多少知識は持っているので、そういう背景みたいなのの違いもあると思う。
入院中、同室の人が、私と医師の会話を聞いて私が看護士か何かかと思ったらしいし、それにかなり驚いたのだが、医学や病気の知識があまり無い人って結構多いんだよね。
自分で調べないで、医師任せみたいな人も多いみたい。
あ、関係ないけど、私が看護士さんと仲良く喋ったりする様子を見て、同室の方からその病院の関係者かと思われてました(笑)
そんなに馴れ馴れしかったかなぁ。
いやぁ、あそこの看護士さん達はみんな感じ良くて、ほんと楽しかった。

・・・って、話脱線し過ぎ!

まぁ、私がポジティブかどうかはどうでもいいんだけど、どうやらたぶんポジティブな方に入るみたいです。
が、別に心掛けている訳ではないのである。

これは、昨日書いた笑い小人の他に、面倒臭がりというか短気というか、まるで江戸っ子気質?(東京生まれじゃないけど)みたいなのがあって、何か起きても、「あー!もうグチグチうじうじ考えてんの面倒臭い!いいからもうやったるわー!おりゃー!任せんしゃい!」(拳を振り上げるポーズ。やる気↑↑)みたいに自然にすぐなるんですわ。
よー分かりませんが。
(昔書いた、最終的には自分が頑張るしかないっていう意識が働くのかも。)

あ、こんな私ですが、人間ですから、落ち込むことも普通にあります。
数ヶ月凹んで泣いてたこともあります。
それでももしかしたら、立ち直り早い方だったのかもしれないけど。
うーん、分かりませんが。

さて、昨日書いた「笑い小人」だけど、別名「浮かれ小人」だと書いた。
こいつがね~、また面白いんだ(笑)
私、一人で居ても急に意味もなく楽しくなってきちゃったりするんだけど、これも小人のせいかもしれない。

あと、ふざけるのがほんと大好きで、旦那に言わせると、日常生活のうち9割はふざけてるらしいです。
(いや、自分ではせめて6、7割ぐらいではないかと思うけど。)
うーん、普段から冗談言ったり、歌ったり踊ったり、変な顔やポーズしたり、気に入ったフレーズを繰り返し叫んだり、などなど、ふざけてることが多いです。

「のだめカンタービレ」という、ドラマやアニメ化をされた割と有名な漫画があるんだけど、ある日アニメを見ていたら、「のだめってもけがモデルなのかい?」と旦那に言われました。
なんか、似てるらしいです。

私は部屋の掃除は出来るし、そんなに似てるとも思わないけど、確かに、奇声を発したり、匂いフェチだったり、非常識な感じや子供みたいなところはちょっと似てるかな~とも思う。

えっと奇声っていうのは自分オリジナルで、いつの間にか自然に「はしゃっ!?」(驚)とか「ほひ!」(頷き)とか、なんか妙な奇声を色々と発しております(恥)
匂いフェチってのは、私は旦那の匂いが大好きなので、あちこち体の匂いを嗅いだり(部分ごとに匂いが違うので楽しい)、シャツや布団の匂いを嗅いだりしております。(靴下とか臭い匂いのフェチはない。母に話したら変態だと言われた(泣))
旦那には天真爛漫だと言われるんで、まぁそんな感じです。

・・・ってなんか今日はよく分からない日記になってしまった(汗)
友達には、「もけって子供と凄い大人っぽいところとあって、中間がないね」とか「小学生のまま大人になった」とか「天然」とか、言われます。
旦那と結婚した時は、私がまともな人と結婚したのを凄くビックリされて、「いつも誰かしら面倒見てくれる人が現れるんだね~。」なんて言われたりもしました。(え!?)
旦那に、私は一人では生きていけないだろうと心配されております。(そうかなぁ!?)

・・・って、どんなんだよ!自分!!
まぁ、こんな感じの幾分妙な人です。
入院中もイタズラばっかりしてましたわ(笑)
んー、つまり、一言でいうと阿呆ってことですね、はい。
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頭の中に住むあいつ

2009.02.08(17:05)
えっと、私がどういう風に思われているのかよく分からないのですけれど、もし、私が「楽観的」とか「前向き」とか「ポジティブ」とかを心掛けていて、それを周りにも勧めていると思われている方がいたとしたら、それは誤解であります。

そもそも、私は、人に意見を押し付けるのも、押し付けられるのも大嫌いなのだ!

「前向きに頑張りましょう」とか、「ポジティブシンキングの勧め」なんていうのは別に好きでもないのだ。
どっちかというと、場合によっては、うるさいなぁ、余計なお世話じゃ、なんて思ったりする方なのだ。

誤解のないように言うと、私はポジティブなのが嫌いだというのではなく、根拠のない思考が停止しているような楽観主義が嫌なのだ。
(まるでいつぞやの戦時中みたいな。)
そして、悲観主義が単純に悪いことだとも思わないのだ。
そういう単純な話では、全くないのである。

どのような状態であろうと、思考することを止めてしまうことは危険であるし、また、常々異なる視点を意識し、なるべくなら「思い込みの罠」に陥らないようでありたい、と思っている。
楽観的なのも、悲観的なのも、そのものだけに囚われている状態を、私は良くないと思っているのである。
ただ、異なる様々な視点から、考察し、熟慮した上で、あとはもう楽観的に思い切ってやってみるのは好きなのである。
って、私はかなりの面倒臭がり屋なので、面倒臭くなって衝動的にガー!っていっちゃうケースも多いんだけどね(汗)←あぁ、矛盾しているのだが、なかなか衝動が抑えられない・・・。

ここでちょっと、補足だが、「思い込みの罠」というのは、私が勝手に使っている言葉で、何かを思い込んでしまい、違う観点からの発想が出来ない状態になってしまっていることだ。
人は誰でも「思い込みの罠」にはまりやすいのである。
(補足だけど、良い意味で思い込むことも、その人にとってプラスに働く。)

前に、私は気分の切り替えが早くて、割とすぐに立ち直ると書いたが、これは意識して視点を切り替えて楽観的であろうとしている訳ではないのだ。
そうではないのである。

何なのかというと・・・、そう、あいつが頭の中に住んでいるのだ。
誰かって!?
それは・・・、「笑い小人」(別名「浮かれ小人」)である!

・・・意味不明だと思ったあなた!
あなたの反応は至って当然でありましょう。

なんのことか説明します。
例えば、旦那と何かトラブルが起こって気まずくなったとします。
私の方が悪いと思った場合はすぐ誤りますが、向こうが悪いと思った場合、「向こうが誤るまで絶対許さん!口きかない!」なんて思ったりします。

・・・が!数分~数十分程経つと、なんだか意味も無く可笑しくなってきちゃうのであります。
それで、実際声を出して大笑いしちゃったりするのであります。

・・・なんなんすか?これ。

さっきまで大泣きして、怒ってたのが、もうどーでもよくなっちゃうんですわ。
で、なんだか可笑しくて笑っちゃうし、自分はそもそも険悪な状態ってのが大嫌いなので、仲直りする訳です。

昔からこんな感じで、私は「自分の頭の中には、きっと笑い小人がいるに違いない。」なんて思っていたのです。
今回こそは、絶対怒ってるぞー!と決意しても、笑い小人が出てきて可笑しくなっちゃうんです。
・・・ほんと、なんなんすか?これ。

自分が思うに、普段から気分の波が割と激しいところがあって、まさに「ジェットコースター」みたいなのだが、揺れ幅が大きい分、まるで振り子みたいに、感情が大きく揺れた分だけ、反動で逆の感情になってしまうのではないだろうか。
あ、でも、嬉しかったり、喜んでヒャッホーみたいになっても、その後落ち込んだりは、今のところないです。
双極性障害って程でもありません。

ADHDの本なんか見てても、同じような記述を見かけるので、ADHD気質なのかな~なんて思ったりもするんだけど、昔友達に話したら、「私も小人いるよー!」って言った非ADHDっぽい子が一人いたので、なんともいえない。

まぁ、この小人、居て良い面もあるんだけど、悪い面もあります。
旦那は受け皿が広いので、受け入れてくれるけど、こういう態度を見て、「いい加減だ」とか「気分屋」とか「意味不明」とか「反省していない」なんて思う方もいることでしょう。
実際、小人のせいか分からないけど、こういう感じでいて怒られたりしたことが多々ありますので。
そういえば、「○○の時は××すべし」なんて感じで、うまく言えないけど割と堅実な感じの人からはあまり好かれない気がします。
受け流してくれる感じの人は、大丈夫なんだけど。
あ、堅苦しい場面や、そういった関係も大の苦手です(汗)

あー、いつもの通り文章がうまく出て来ないので、また長文で要領よくまとめられなくてすみません。
まぁ、そんな感じで、私の頭の中には小人が住んでいるのでありまする。
あ、あと飽きっぽいので、怒っている状態なんかにもすぐ飽きちゃって、もう面倒だからいいや~となったりもします。
いい加減ってことなんすかね。
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恰好の素の上で

2009.02.08(16:57)
えーまず、タイトルは映画のタイトルを勝手にパクっただけで、特に意味はありません。
(チーフはあの後どうなったのかなぁ・・・。)

最近、他の方達とやり取りなどをしていて、思ったことなのだが(勝手に便乗ネタさせて頂きまっす!)、発達障害系の話ではよく耳にすることなのだけど、自分も電話とかが苦手であります。

大学の時の就職活動中なんて、ほんと死ぬかと思ったぜぃ。
あと、前に治療院を開業していたのだが、予約の電話が入る度に悶絶してた(笑)
友達からかかってきても、なぜか出られないこともある。
・・・すんません。

だって、急に来るじゃん!?
準備出来てないっちゅーねん。

自分は、モードを切り替えるのが難しく、電話をかけるモード、出るモード、またブログを書くモードや、掲示板に書くモード、メールをするモード、などなど、他にも出掛けたり、人と会ったり、掃除、料理、エトセトラエトセトラ・・・そのモードにならないと上手く対応が出来ないのだが、モードへ切り替えるのが、時間がかかったりするのであります。
それで、それは、割とすぐ出来る時もあれば、なかなか出来ないこともあるのであります。

あと、頭の中で処理出来る容量がとても少ないので、一度にたくさんのことは出来なかったりもします。

そういう訳で、メールの返事や、コメントの返事、またその人のブログにお邪魔するのなど、なかなか大変な時もあり、かなり時間や労力を要することもあるのでございます。

それと、なんか気分の浮き沈みが激しくて、電話もそうだけど、メールやコメント、また掲示板の返事なんかも、ドッキドキしちゃって出られなかったり、見られなかったりすることもあるのであります。
それも、その時の状態や相手によって、すぐに出来る時もあるし、下手をすると何ヶ月も出来ないこともあったりします。

余談だけど、本を読んでて知的に興奮することがあると、興奮し過ぎて読めなくなっちゃったり、テレビとかで言い争ってたり、不幸になりそうな展開だったりすると、ドキドキしちゃって見られなかったりもします。
そんな風にドキドキしやすいのに、物凄く大胆な行動を取る時もよくあります。

なんだか、まー、よく分かりません。

あとなんかねー、変なところに気を遣っちゃって、気を遣わなければいけないところで気を遣ってないらしいです。
これは、何度か指摘をされていて、前の職場でも散々怒られたので、自覚しております。
はい、ほんと、誠に、すみません。

こんな感じなので、メールの返事とか気にしなくて、マイペースな人とは気楽なのでよく続きます(笑)
たまに、お互いの返事が何ヶ月か後とかいう状態に平気でなったりします。
でも、信頼関係があれば、それも良いのではないか、と思っております。
お互いが、無理せずマイペースで続けられる関係って素敵だよねぇ。
なんか、連絡していなくても信頼し合える、そういう関係が築けたら良いなぁ、なんて思うのです。
って、勝手ですかね!?

あ、まぁこんな感じなので、コメントの返事や、ブログにお邪魔するのが、ちょっと遅くなったり、なかなか出来ない時もありますので、誠に勝手とは思いますが、ご了承して頂けたらと思います。
もちろん!コメントもメールも嬉しいし、歓迎してますよ~。
ただ、私の心臓はそんなに強くもないので、ちょっとプチパニックしちゃったりする時もあるだけで(笑)

普通当たり前かもしれないけど、私も人の好意や温かい気持ちがとても好きなので、そういうものを貰うととても嬉しいし、ヒャッホー!って飛び上がりそうになります。
否定的なのは、やっぱガガーン!って凹むけど、私のことを思ってくれる為だったりもするし、また違う視点からの意見を言ってくれていたりするので、真摯に受け止めます。
違う見解を聞くのは、客観的な自己像を知ることが出来たり、勉強になるし、自己の成長の為にも、ぜひ聞きたいと思ってます。
(しかし、どうか勝手ではありますが、出来ましたら激しいのではなく、お手柔らかに願います・・・。)

また無用に文章が長くなっちゃいましたけど、まぁえっと、どうかあまり厳密に考えずに適当にお付き合い下さいますようお願い申し上げます。
あ~うまく言えているのであろうか!?うわー!!文章書くのってほんと難しいっっ!!!

あ!えっとコメントもメールも要らないって言ってる訳じゃなくて、ほんと貰うと嬉しいんだよぉー!!
有り難いし、交流もしたいと思ってるのだわ。
どうぞ誤解なきように(祈)
それに、気持ちをもらうとほんと天に上りそうになりますから(笑)
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プロフィール

空海もけ(そらみもけ)

Author:空海もけ(そらみもけ)
ADHDの鍼灸師。面倒臭がり屋でふざけるのが大好き。着ぐるみ脱ぎました。
(詳しくはカテゴリーのプロフィール欄を参照。)

もち
・もち
もけの夫。
背が高くてよく食べる。
お煎餅が大好き。

ゲコ
・ゲコ
近くの川に住む蛙。
よく合いの手を入れる。
留守番もしてくれる。

ポンチン
・ポンチン
もけが実家で飼っているマルチーズ犬。
(本当はふわふわモコモコ。)
一緒に住んでいないが何故か登場する。

※漫画の内容は、事実を元に多少脚色してあります。

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