[感覚の話]感覚の世界の話

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  2. 言葉と概念化とリアル(03/10)
  3. 感覚とドーパミンとてんかんと自閉症(03/09)
  4. 感覚の世界と自閉症スペクトラム(02/13)
  5. 言葉のない世界に住む(2)(01/27)
  6. 言葉のない世界に住む(1)(01/27)
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言葉と概念化とリアル

2009.03.10(14:19)
ブログを始めてから気付いたことがある。
今までブログがマイブームになっていたのでマメに更新をしてきたけれど、そうすると、次に書く内容を頭の中で推敲するようになる。
私は、少し推敲をした後、頭の中に寝かしといて、あとは勝手に頭の中で出来たものをそのまま自動筆記みたいにして書いている。
(今まで学習して蓄積された言葉や文章が当てはめられて、作られているのだと思う。)

推敲する間、頭の中は言葉で溢れる。
言葉、言葉、言葉の渦だ。

そうしているうちに、ふと感覚の世界が遠退くことに気が付いた。
頭が言葉で溢れている(言葉で思考している)と、感覚の世界が感じにくくなるのだ。

私が感じている感覚は、元々言葉とは無縁の世界だ。
言葉の世界と感覚の世界は、平行した世界なのである。
(感覚の世界では、言葉が本来持っている意味は無くなり、音の響きに意味があるようになる。)

昨日書いたように、感覚の世界は、具体的であり、生々しいリアルな世界だ。
私は、事物から生き生きとした直接的なサインを感じ取る。
それは、とても喜びに満ちた素晴らしい世界だ。

一方、私は平均並の知能も持ち合わせているので、知識として、頭の中で言葉を使って世界を概念として捉えることも出来る。
こちらは、私にとって現実感のない、実に味気ない世界だ。
理屈では理解出来るが、感覚的には、違和感があるし、皆がこの概念でのみ生きているのが不思議でならない。

私から見ると、世界は、とても美しい調和で成り立っている。
事物は流動的に動き、その流れは心地良い旋律となる。
世界は、色と音とリズムと点や模様で溢れている。
パターン化された模様は、素晴らしく美しい。
それらはダイレクトに私の中に流れ込んできて私を圧倒し、私の中はそれらでいっぱいになり、そして私はいなくなる。

視覚、嗅覚、触覚、聴覚などを使って、それらは感じ取ることが出来る。
感覚に意識を集中すれば、そこにはいつでも素晴らしい世界が広がっているのだ。

目の前の何でもない景色は、一枚の素晴らしい絵画となり、一定のリズムや模様は、魂に安らぎや喜びを与えてくれる。
触ったものから、様々な波長を感じたり、何ともいえない世界を垣間見たりする。

発達障害だからこの感覚があるのかは分からないが、もし発達障害で持ち合わせている人がいたら、社会に合わせて押し殺してしまうのはとても惜しいことだと思う。
もし子供のうちに、この世界を否定され、概念化された世界を強制されてしまったら、その子は社会に現実感が持てないまま、辛い気持ちになるんじゃないかな。
でも、この感覚があれば、世界は素晴らしく思えるし、逃げ場にもなる。

私は、この感覚があるお陰で、最も根本的なところにおいて、人生は素晴らしいものと思えるし、存在していることが大いなる喜びとなっているのである。
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感覚とドーパミンとてんかんと自閉症

2009.03.09(15:46)
最近、以前から持っていた『妻を帽子と間違えた男』(オリバー・サックス著)という本を、改めて読み始めてみたら、面白い発見があった。
この本は、発達障害の診断を受ける前から持っていたのだが、途中まで読み進めた後、他の本に浮気をしてしまい、読んでいなかったのだ。
(私は無類の本好きで、本屋も大好きであり、本屋に行ってはつい新しく本を買ってしまい、そちらを読んでしまったりする。ちなみに、基本的にノンフィクション系のものしか読まず、小説などは苦手なので読まない。)

まだ読み込んで熟慮していない段階であり、上手く説明する自信がないのだが、書きたい衝動に駆られたので、書いてみることとする。
(後で、改めて訂正や追加記事を書くかもしれない。)

人間は、普段、無意識に感覚がある程度抑制をされている。
以前、概念化という問題について記事にしたことがあったけど、人間は普通は、事物から受ける刺激を、直接ではなく、ある程度抑圧して受けるようになっている。
外から受ける情報(刺激)を、そのままの具体的な個々の姿ではなく、ある程度脳で抽象化をして、知覚しているのである。

この抑圧が外れて、より具体的な世界になるとどうなるか。
物事から受ける感覚は、それまでの抽象化された世界とは違い、実に生き生きとしたリアルなものとなる。

ここで、上記の本の内容を適当に意訳して、抜粋してみる。

(引用始め)

以前、コカインなどの薬物中毒で嗅覚が非常に敏感になった青年がいたのだが、彼は同時に色彩感覚も鋭敏になり、直感的な視覚的能力と記憶力がひどく高まるようになった。
今まで同じにように見えた色も、違うように見えるようになり、以前は絵を描くなどということや、心で物を見るなどということは出来なかったのに、まるで高感度のカメラを持っているかのように、事物が正確に紙に映し出されているように見え、正確な絵の描写が出来るようにもなった。

そして、嗅覚がするどくなったお陰で、臭いだけで、人を見分けることが出来るようになり、その人の感情まで(恐怖や満足、また性的な状態まで)嗅ぎ取ることが出来るようになった。
彼は、街を臭いだけで迷わず歩くことが出来るようになった。

嗅覚のもたらす快感は強烈だった。(また不快感も。)
しかし、臭いは快不快だけの問題だけではなく、美意識や判断にも影響を与える重要なものとなった。

彼は、嗅覚が敏感になる前は、どちらかというと知的で、あれこれ考えて抽象化をする方だったのだが、いまや個々が持つ直接性に比べたら、考えたり抽象化したり分類することは、なんとなく難しく、真実味がないように思えるようになった。
「きわめて具体的な世界でした。個が重要だったのです。ひとつひとつが恐ろしく直接的で、全てを生で感じるんです。」と彼は語った。

この感覚は、その後正常に戻ったのだが、彼はほっとすると同時に、残念がった。
感覚が正常に戻ると、生気なく色あせた世界、感覚も平板で、具体性にとぼしい抽象の世界に戻ってしまったからだ。
彼は、人間は、文明化の代償として、これらの感覚を失ってきたのだということがよく分かった。そして、人間には原始的なものも必要なのだということも。

(引用終わり)

この脱抑制は、どのような状態で起こるのかというと、ドーパミン過剰状態で起こるといわれている。

また、私が感じていたような恍惚とした世界は、てんかん発作でも起こることが知られている。
光が降ってくるような状態などは、偏頭痛が起こる前の前兆現象にも少し似ているようにも思った。(閃輝暗点

側頭葉てんかんでは、体外離脱や既視感や宗教的法悦のようなものが起こることがある。
このようなてんかんの経験をした歴史上の人物ではドフトエフスキーが有名である。
(この説には異論もあるようだけど。)
ドフトエフスキーは次のように語っている。

「ほんの五、六秒の短い時間だが、永遠の調和の存在を感じるときがある。恐ろしいことに、それは驚くべき明晰さで姿をあらわし、魂に法悦をもたらす。もしこの状態が五秒以上続くなら、魂はそれに耐えられず消滅してしまうだろう。この五秒間に、私は人間としての全存在を生きる。そのためなら、私は命も賭けるだろうし、賭けても惜しいとは思わないだろう。」

私の持つ感覚が一体なんなのか。
かなり見えてきたように感じている。

今のところ、ドーパミン過多で感覚が鋭敏になっている可能性が一番影響力があるようにも思える。
それから、光が見えた時は、閃輝暗点状態になっていたか、軽いてんかん発作だった可能性もあるのかもしれない。
私自身はてんかんという診断は受けたことがないのだが。

また、ドナ・ウィリアムズなどの自閉症者が、似たような感覚を持っているのは、物事を抽象化することなく具体的に受け取るという性質や、感覚が過敏であるということも関係しているのではないか、と思う。
私の場合、何かしらの原因で生まれつき感覚が鋭敏なのだろうと思うのだが、ドーパミンなどの可能性はあるけれど、原因は一つではないとも思っている。
(ちなみに、私も嗅覚は敏感な方であり、その他にも触覚や聴覚など割と過敏であったりする。生まれ持った感覚のレベルの問題もあるのかもしれない。)

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感覚の世界と自閉症スペクトラム

2009.02.13(12:39)
私は、自分の持つ感覚の世界の由来が知りたくて診断を受けたようなものなんだけど、最近一連のこの感覚には、自閉症は関係ないのかもしれない、と思い始めた。

自閉症由来かと思ったのは、高機能自閉症者のドナ・ウィリアムズさんの感覚の世界観が、私の感覚の世界観と似ていたからで、自閉圏から来ているのかと疑っていたのだが、もしかしたら、関係ないのかもしれない。
(ADHDが関係する可能性や、また、そもそも発達障害は関係ないのかもしれない、と思い始めた。)

ただ、ドナさんは自身と同じような感覚の自閉症者達と、やたらとよく出会ってるんだよね。
うーん、何故だろう。

私も一応、広汎性発達障害の疑いがあるということで、自閉症の要素があるのかもしれないのだが、彼女達とは違うのだろうか。
こればかりは、彼女と実際に会える予定もないし、彼女や彼女と同じような人達とも比べようがないから、分からない。

ただ、彼女が紡ぐ言葉の連なりは、私の中ではとてもしっくりと来るし、やはり似ているような気はするのだ。
彼女の自閉症的な感覚の諸問題や、日常の困難さなどは、私とは違ったりもするのだが、感覚の世界観だけは似ているのである。

いつか、これが何なのか分かる日が来るのであろうか。

ちなみに、私には少し共感覚的要素もあるように思う。
これは、赤ちゃんの時には少なからず持っていて、大人になっても少し残っていたりするものらしいのだが、私にも少し残っているように思う。

本来の共感覚者のように、はっきりと文字に色などが見える訳ではないのだが、子供の頃から、文字や数字、音や人などに、色や形、質感や音階などのイメージが自然と浮かぶ。
みんなそういうものなのかもしれないけれど。

余談ではあるが、昔ピアノを習っていたのだが、絶対音感があって、ソルフェージュの音の聞き取りが得意でもあった。
指が開いてタッチも強かったので、音大に行くことを勧められたりもした。
(ピアノの指使いは、今マッサージの役に立っている。)

私は感覚の世界に身を任せているのが、本当に心から楽しく、私が存在し、生きることへの、根本的な喜びや意義となっている。
言葉にするのは難しいのだけれど、この感覚を言葉で残しておきたいと思う。
本当は、絵画や音楽、詩などで表現する方が相応しいとも思うのだが、私にその才野があるとも思えないので。
ただ、最近は自己満足でいいから、挑戦してみてもいいかもしれないと思い始めてもいる。

そして、どこかでこの同じような感覚を持ち、周りに同じような人がいないと寂しく思うあなたに、ここに同じような人がいるということを、ただ伝えられたらいいと思っている。
それから、この感覚の世界を知らない人にも、いくらかでも、この世界の素晴らしさを伝えることが出来たなら、嬉しく思う。

(追記:私の一連の感覚の話を読んで、ちょっと頭がおかしいんじゃないかとか、妄想だ、などと思われる方がいても、当然だと思っています。だからこういった話は、外では滅多にしません。どうか、不快に思う方は、読まないことをお勧めいたします。)
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言葉のない世界に住む(2)

2009.01.27(13:40)
(言葉のない世界に住む(1)からの続きです↓)

私が、感じるこの「世界」は、知識で得たこの「世界」とは、ちょっと違う。

私は、そこにあるものを、ただ、そのものとして、感じる、のみである。
そこに言葉なんて、ない。

ただ、目の前のものを、言葉などで括らず、既成の意味も与えずに、そのまま、感じるままに受け取る。

そこに喜びがある。

私は、私が感じるままに、私が意味を与え、私が名前を付ける。

言葉は、ない。

私が感じる世界では、音と色と模様とリズムと、流れるような音階があるだけ。
細かい粒子のような粒が構成する、世界に、ただ、浸るだけ。

私にとって、本来の言葉は、ただ、音として存在する。
言葉よりも、音の響きの方が、よっぽど意味がある。

そしてまた、その感覚の世界に、私というものは存在しない。
他人も存在しない。
誰も居ない。

ただ、流れていくような色とりどりの美しい世界があるだけ。
素晴らしい旋律が流れるだけ。
私はその中に溶け込む。

そこでは、既成の「言葉」や「意味」はないのだ。

でも、この世界に住んでいたら、「現実」といわれているものに対応出来ないと知識として分かっているので、私は普段この世界を封印して、身に付けた社会的な「自分」というもので、生きている。
その「自分」は、自分だとは分かっているんだけど、本来の意味での自分、ともいえない感じもある。
ただ、嫌いじゃないし、社会に応対出来るから助かっているし、たまに自動運転モードで色々な雑用も片付けてくれる。
社会的な「自分」は、不器用だったり、色々な思い込みや、強迫観念なども持っていて、厄介な面もあるけれど、向上心も持っているので、学習も出来るし、成長も出来る。

そして、現実社会に対応しながら、私は、ひっそりと自分の中の感覚の世界に浸るのだ。
そこには、いつでも至福の喜びがあり、そここそが、私にとっての本当の現実だから。

(終わり)

ちなみに、この話を発達障害に結び付けたいという訳ではありません。
私は、単に離人症や、妄想、単なる思い込み、夢想癖などの症状を抱えているのかもしれません。

また、頭の中で空想をしている訳でもありません。
ただ、そう感じるというだけの話です。

この状態に何がしかの診断名が付くのかは、精神科医ではないので分かりませんが、精神的に何か問題があるか、または脳に何らかの器質的問題があるかして、診断名を下されたとしても、特に構いません。
どう言われようと、この感覚は変わらないし、私にとっては大事な感覚なので。
ただ、由来が分かれば面白いし、知りたいとも思いますが、この感覚のせいで生活に大いなる支障が出ている訳でもないので、これのみで診断を受けるのもどうなのだろうか(どう扱われるのか分からない)、とも思います。
(発達障害の診断は受けましたけど、発達障害にも精神疾患にも、偏見やこだわりはなく、診断名はどうであろうと、自分の状況の説明と対処法などが分かれば、有り難いし、それで良いと思っています。)

ところで、ただ、感じるだけの、この感覚の話を、皆どうして話題にしないのだろう。
感じていないのか、感じているのだけれど話す程の話題ではないと思っているのか、言葉に出来ないだけなのか、まったくもって謎なのです。
やはり、この感覚は少数派なのだろうか。
答えて下さる方がもしどこかにおられたら、ぜひ話を聞かせて頂きたいところです。
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言葉のない世界に住む(1)

2009.01.27(13:15)
上手く書く自信がないけれど、自分の感じる感覚の世界について改めて記してみようと思う。
昔からこういう話を言葉で表現しようとすると、いつも言葉にした途端に、うそ臭くなってしまって、がっかりするんだけれど。
大事な物を瓶にしまっておいたのを、蓋を開けて中から取り出した途端、酸化して違う物質になってしまったような・・・。
なんだか陳腐な使い古された言い回しとか、ありふれた表現しか出来なかったりもする。

まぁさて、前置きはこの辺にしてとりあえず始めてみよう。
(うまくまとめられなくて長くなったので、2回に分けてみます。)


正直に言うと、私は本当は、言葉のない世界に居たいと思っている。


子供の頃から、「現実感」というものがよく分からない。
現実感って、・・・何だろう?

自分はどこか違う場所にいて、目というフィルターを通して、映画でも見ているような感じがする。
または、巨大なロボットを、操縦席に座って操っているような感じ。

知識で得たこの現実世界と言われているものと、自分が感じる感覚とに、一体感がない。
(私は正確な知識の獲得に、失敗したのであろうか?)

たまにケガをしたりして痛みを感じると、生きているのだと感じる、私には、俗にいうこの世というものは、そんな感じ。
ある日、肩を叩かれて、「今までのは全部夢だったんだよ。」と言われたら、納得いくような、そんな感じ。


現実社会というものは、言葉で成り立っていると思う。
全てのものには、名前があり、言葉で意味が付けられている。

人類は言語の獲得によって、他の人間とより高度なコミュニケーションが取れるようになり、また、より高度な思考をするという能力を手に入れた。
それが、人間社会の大前提になっている。
言葉は、文化的、また歴史的背景を元にして、共通に認識され得るものとなっている。
(厳密に言えば、言葉の「意味」は、異文化までいかなくとも、個人間でも、環境や知識量の差異などによって、微妙な温度差があるのだけれど。)

私は、人類が言語能力を獲得する前の原始時代に生まれた訳ではないので、言葉の「意味」や、文化的背景などは、私が生まれた時には既に一定の方向性が決められていた。
そして私の誕生後も、それらの文化や、言語は、多数の人々の意識や無意識によって決められているようであった。

そこに私の意思はない。
私には、既に「こういうものなのだ。」という知識を得た上で、そのように行動をすべきだという学習による条件反射があるのみだ。
世の中とはそういうものだということは、よく分かっているし、世の中のやり方に沿った方法を取らなければ、いけないのだ、という強迫めいた考えが常にある。

でも、本当は心から納得している訳じゃない。
ただ、頭の中で得た知識が、そうするべきだ、と私を駆り立てているだけで。

(続く)
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プロフィール

空海もけ(そらみもけ)

Author:空海もけ(そらみもけ)
ADHDの鍼灸師。面倒臭がり屋でふざけるのが大好き。着ぐるみ脱ぎました。
(詳しくはカテゴリーのプロフィール欄を参照。)

もち
・もち
もけの夫。
背が高くてよく食べる。
お煎餅が大好き。

ゲコ
・ゲコ
近くの川に住む蛙。
よく合いの手を入れる。
留守番もしてくれる。

ポンチン
・ポンチン
もけが実家で飼っているマルチーズ犬。
(本当はふわふわモコモコ。)
一緒に住んでいないが何故か登場する。

※漫画の内容は、事実を元に多少脚色してあります。

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