[発達障害の話]発達障害の考察

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  2. 秩序の大切さ(音楽と演劇の効用)(03/14)
  3. 「心の理論」のまとめ(02/26)
  4. 「心の理論」の問題について(02/25)
  5. 「心の理論」の「心」とは(2)(02/25)
  6. 「心の理論」の「心」とは(1)(02/24)
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秩序の大切さ(音楽と演劇の効用)

2009.03.14(15:03)
先日紹介した本(『妻と帽子を間違えた男』)を読み進めていたら、また面白い記述に出会ったので、適当に引用しながら紹介してみたい。

昨日、たまたま音楽のことについて触れたけれど、音楽や物語や劇は、知恵遅れの人々や、重度の前頭葉損傷患者や失行症患者にとって、重要な力を持つらしい。

知能指数が20以下で運動能力が極めて低い場合でも、音楽や踊りになると、ぎこちない動きは消えてしまう。
音楽があると、どう動けば良いか分かるからだ。

単純な仕事さえうまくこなせない人々も、音楽が入ると、完璧に行うことができる。
体系としては把握できないそれらの仕事を、音楽にはめこまれたものとして捉えることができるからだ。

重度の前頭葉損傷者は、知能は損なわれていないのに、簡単なひとつつながりの動作が出来なくなる。
このような場合、通常のリハビリテーションでは効果がないのだが、やはり音楽に合わせると、これらの欠陥は瞬く間に消え去ってしまう。

抽象的で体系的な方法が役に立たない時にも、音楽は組織としてまとめる力、効果的に楽しくまとめる力があるらしい。

また、演劇が効果的だというのは、「役」には、組織しまとめる力があるからだ。
劇が続く限り、「役」はまとまった人格を持ちつづける。
「役」を演じたり、何かに「なる」という能力は人間の特権なのだ。

そして、このことは、発達障害においても、有効な手段になり得ると思うのだ。

私は以前から、家事をする時など、音楽を聞きながら作業をしている。
音楽のリズムに合わせていると、作業がスムーズに進むからだ。
トゥレット症候群のチック症状も、音楽で踊っている時には現れないというが、そのような状態に近いものがある。

また、何かの役割になりきって、事を進めるのも有効であると思う。
例えば、料理をするのは苦手だけれど、有名シェフになりきってやれば、少しは楽しく出来るかもしれない。
これは、人間関係を築く上で私が使っていた手段でもあるけれど、いくつかキャラクターを作っておくことは、スムーズに対処をする上で有効なのだ。
(キャラクターの選別は、場に合わせて行わないと、痛い目に遭うけれど。例:おちゃらけたキャラは厳格な場には合わない。)

概念的能力が劣っている場合においても、音楽や演劇(物語)には、それらをまとめあげる力がある。
一定の枠組みがあれば、格段に動きやすくなる。

これらのことが全ての人に当てはまるとは思わないが、欠陥にではなく、持ち合わせている能力に目を向け、それを伸ばす方向に考えることは、やはり大切なことだと改めて感じた。
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「心の理論」のまとめ

2009.02.26(13:59)
えー、しつこいとは思いますが、三項関係の時のように、前回まで書いていた「心の理論」の記事を簡単にまとめておさらいしてみます。

ちなみに、今回一連の記事を書くにあたって、心理学の内容を所々引用してはおりますが、以前にも述べた通り私の知識は素人レベルですし、今回の一連の記事については、私の知識から推測した単なる個人的見解も入っておりますので、ご注意下さいませ。

<心の理論の検査に合格する条件>
・「自己」と「他者」の区別がついている・・・自我が形成されている
・「言語」を獲得している・・・言葉で論理的に考えることが出来る

※上記以外に合格の妨げになる原因と考えられるもの
・知能検査が動作性優位の子(言語性<動作性)の場合、文章を見たり、聞いたりする検査だと分かりにくい。(絵による検査の方が合格しやすい。)
・些細な部分(場面はどんな場所か、とか登場人物の関係はどうか、など)に気を取られてしまう場合、質問されている意図とは違う答えをしてしまうかもしれない。

<「自己」を獲得する過程>
・1歳半ぐらい・・・鏡に映った自分を見て「これは自分だ」と認識出来る。

それ以前の乳幼児は、自己と他者の区別がついておらず、他の赤ん坊が転んで泣くと自分も泣き出す。
自己と他者が独立した違うものだと認識した子は、泣いている赤ん坊に対して、おもちゃを持っていくなどの思いやりを示すようになる。

・2歳ぐらい・・・自分に名前があるのだということを認識する。(言葉により、自己への認知がより強化される。)

(おまけ)
・4歳ぐらい・・・自我がより確立し、他者と、言語によって内部に持つイメージ世界を共有しあえるようになり、「ごっこ遊び」などの役割分担をして遊びが出来るようになる。(協同して遊べるようになる。)

<心の理論の「心」とは>
利便性や翻訳の都合で「心」とついているだけで、広義の意味の「心」ではない。
自己の視点から他者の視点へと切り替えができるか(自我が形成されているか)ということが重要なのであり、他者の心を正確に読み取れるかどうかということではない。
つまり、自分を他者の立場に置き換えて考えることが出来るかということであり、それには自己の心情を他者に投影する必要がある。

<付録>
三項関係の記事の補足に、「親子間でのやり取りが大事」ということについて後で触れるといいつつ、取りこぼしていたので、ここで補足します。(多分、当たり前の話かとは思いますけど。)

これらは発達障害とは関係なく、一般的に言われていることだが、三項関係により、赤ちゃんは母親から言葉などの様々な情報を取得するが、ここでの母親がとる態度が、赤ちゃんの成育に大きな影響を与えることとなる。
たとえば、度々赤ちゃんの視線を無理に得ようと強制的にこちらを向かせたり、赤ちゃんの視線や反応に応えなかったりしていると、その子は情緒が不安定になり、恐怖感を抱きやすかったり、感情に乏しく、他人に心を開かない子などに成長する可能性が高くなるといわれている。
それに比べて、赤ちゃんの反応に母親が反応をして(例:赤ちゃんの笑い声に対して、母親が高い声を出して話し掛けたり、やさしく体を揺すったりなど)、赤ちゃんの気持ちを確認して肯定をしてあげると、赤ちゃんは安心感を得て、情緒的にも安定して成長するらしい。

赤ちゃんに対して、母親が共感のメッセージを送ってあげるのが、赤ちゃんの成長に対してプラスに働くというのだ。
この時、赤ちゃんの行動に対して、母親が単に模倣したのでは、赤ちゃんに対して共感のメッセージにはならずに単なる理解のみとなってしまう。
赤ちゃんが感じていることを母親も感じ取っているのだというメッセージにするには、前述の例のように別の形で再生をしてみせる必要があるらしい。

また、赤ちゃんは3ヶ月ぐらいでも、母親の気分を察知し、自己に反映するようになる。
母親は育児などのストレスを抱え易く大変だと思うが、母親の精神状態も健やかでいられるようにすることが、母親自身、また赤ちゃんにとっても、良いことなのだ。
こういうことは、父親もちゃんと知っておくべきだろう。

乳幼児の頃に受けた影響は、大きい。
共感を得ないで育った子は、他人に共感を持ちにくくなるという。
この「共感」についても、次のテーマに絡めて語ってみたいと思う。
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「心の理論」の問題について

2009.02.25(13:10)
(前回の『「心の理論」の「心」とは(2)』からの続きです。)

より分かり易くするために、「心の理論」の検査で使われている『サリーとアン課題』を例に出して考えてみたい。
 
『サリーとアン課題』 
 1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
 2.サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
 3.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
 4.サリーが部屋に戻ってきました。
 5.「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。
正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。

これに正解するには、「自分」は「他者」とは違うということがまず分かっていなくてはならない。
それには、「自我」が形成されていることが、前提条件である。
「自我」が形成されているからこそ、自分と他者との区別が出来るようになり、他者の視点に立てることが可能になると思われるのだ。
(サリーとアン、それぞれの立場を切り離して類推し、その視点に立つことが出来る。)

そして、「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」には、言葉も必要なのである。
言葉の獲得により、類推する能力は高まり、他者という存在や、ひいては社会の成り立ちなどが、より頭の中で理解出来るようになるからである。

ただ、単純に自我を持ち、言葉を獲得していたとしても、この検査に合格出来るとは限らない。

たとえ自分と他者の視点の違いを想像出来る能力を持っていたとしても、それを論理的に秩序立てて考えられないと、正解を導き出すのは難しいかもしれない。
思考がすぐに混沌としてしまうような子には、難しい検査になると思われるのだ。
それからまた、色々と気が散り易かったり、細部に囚われてしまう子にも、難しいものとなるだろう。

長くなったが、特に言いたかったことは、「心の理論」に合格出来なかったからといって、「心」が無いという訳ではないだろうということだ。
もしそう解釈されている方がいたとしたら、そのようなことはないのではないかと、言いたかったのである。

自閉症児でも、「心」はちゃんとある。
(ここでいう「心」の定義は、また長くなるので次回で触れます。)

ちなみに、アルペルガー症候群の人達は、言葉に遅れのある自閉症の人達に比べて、心の理論の成績が良好であり、いくつかの研究では、アスペルガー症候群の人の中に、心の理論に欠陥のある人は、ほとんどか、全くいなかったという報告もある。
(言葉に遅れのある自閉症の人でさえ、心の理論について定型と差異がなかったという報告もあるぐらいだ。)
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「心の理論」の「心」とは(2)

2009.02.25(12:53)
(昨日の『「心の理論」の「心」とは(1)』からの続きです。)

前回、「自我」の芽生えの問題ではないかと書いたが、どういうことか、説明してみたいと思う。

そもそも、「自分」というものは、いつ頃意識をするものなのか。
これは、心理学では、鏡を使った実験で証明を試みている。

まずは、9ヶ月から2歳までの子供の鼻の頭に、彼らが眠っている間に赤い印を付けておく。
目覚めて、鏡を見て、自分の鼻に手をやるのであれば、その子は鏡の中の人が「自分」であると認識していることとなる。

この実験結果から、鼻に手をやるのは、大体1歳半ぐらいからであることが分かっている。

確かに乳幼児の観察からも、1歳未満の子は自他の区別がついておらず、他の赤ちゃんが転んで泣いているのを見て、泣きながら自分の母親のところへ這っていったりする。

それが、1歳を過ぎるとこのような行動は減り、1歳半ばぐらいには、泣いている子に対して、おもちゃやぬいぐるみを差し出したりなど、思いやりのしぐさを見せるようになる。
他人の痛みは、自分の痛みではないと認識出来るようになるのである。

そして、2歳ぐらいになると、名前を呼ばれて返事をしたり、自分の写真を見て自分の名前を言うことなどが出来るようになる。
つまり「自分」にも名前があるのだということを理解し、段々と「自我」が形成されていくのである。
このように「自分」というものを認識していく段階で、言葉という存在がまた大きくなってくる。

子供同士の交流を見てみても、3歳未満の子供達は、一見一緒に遊んでいるように見えても、よく見ると別々のことをしていたりして、実際は交流をしていない。(並行遊び)
それが、3歳ぐらいになると、それぞれが自分の遊びをしながらも、遊び道具を交換したりなどをして、ちょっとした交流が始まるのだが、あくまでも感心は自分の世界となる。(連合遊び)
4歳以降には、「ごっこ遊び」などの、共通の目的をもって、それぞれが役割分担をして遊ぶようになる。(協同遊び)

ごっこ遊びが出来るようになるということは、それぞれが持っているイメージ世界を、言語を媒介にして共有出来るようになったということを意味するのだ。
ここでもまた、言葉が果たす役割は大きい。
(「メタ表象」の問題はあるが、それは以前触れたので置いておく。)

さて、以上のような点を踏まえた上で、また「心の理論」の話に戻りたいと思う。
繰り返しとなるが、「心の理論」とは「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」こととなっている。

このような、類推や理解が出来るという背景に、上で挙げた「自己の認識」や「言葉」が前提として必要不可欠である、と考えるのである。

(次回の『「心の理論」の問題』へ続く。)
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「心の理論」の「心」とは(1)

2009.02.24(16:48)
(昨日の『アスペルガーにSAMはあるのではないか(三項関係と言葉)』からの続きです。)

「心の理論」の問題というテーマに入る前に、まず広義の意味においての、「心」とは何であるのかを考えてみたい。
(またマニアックな内容となっております。いつもの前置きは省略します。)

まず、広辞苑では「心」という言葉の意味に、以下のようなものを挙げている。
 人間の精神作用のもとになるもの。
 人間の精神の作用そのもの。
 知識・感情・意思の総体。
 おもわく。
 気持ち。
 思いやり、情け。
 他に 趣き、趣向、意味、物の中心、等。

これだけを見ても、様々な言葉で言い換えられており、大変分かりにくいように思う。
一言に「心」といっても、説明がとても難しいものだということは、すぐに分かることだろう。

実際、心理学、哲学、脳神経科学などの分野においても、はるか昔から、「心」という問題は、ずっと考察をされてきたテーマなのであるが、今もって明確なる答えは出ておらず、また立場によっても、微妙に意味は違うようである。

私のような素人が、「心」というものについて語ることは、とても難しいことなのだ。

また、言葉というものが元来持っている問題がある。
どういうことかというと、言葉というものは、時代や文化、また個人の持つ知識量や状況などによって常に意味する内容が変化するのである。

例えば、日本では通常「太陽」は「赤のイメージ」と決まっているけれど、欧米などでは「黄色いイメージ」となっている。
このように、文化によって言葉の持つ意味内容は多少変わり、同じ「太陽」という言葉を聞いても、イメージする色(内容)は違うのである。

また、語彙をあまり持たず、「焦り」や「妬み」や「悔やむ」という言葉を知らない場合、それらは全て「不安」という言葉で表現されるかもしれない。
その場合、その人と「不安」について語る場合、両者の「不安」の持つ意味はちょっと違うものとなる。

そして、言葉は対象物を比較をした結果の差異から意味が与えられ、また比較対照をする対象物によって意味が変わってくる。

分かり易い例で言うと、「右」という言葉は「左」があって初めて成り立つし、「1万円」は「1円」より高額だが、「1億円」に比べたら小額となる。

このように言葉は変化する為、ここで「心」について簡単に説明をするのは難しいという側面もある。

だから学者は論文を書く際には、どのような立場による主張(言葉)であるかを明確に記すし、同じ土壌(専門家同士)の会話では専門用語を使うが、一般読者相手には簡易な言葉に置き換えるか、注釈をするのである。

話が多少脱線して申し訳ないが、私はこのような言葉の事情から、一般人を相手に、専門用語や分かりにくい難解な表現を使うことを良しとしていない。
もし公の場で不特定多数に対してそのような言葉を使うのであれば、それは単なる自己満足でしかなく、他人に広く理解されることを拒む行為であると考えている。
簡易な言葉に言い換えられる内容に、あえて難解な言葉を使う必要はないのである。
(また、優れた識者は、簡易な言葉や分かりやすい文章を用いるものだ。)

さて、本題に戻ろう。

このように「心」とは私にはとても定義出来る言葉ではないのだが、狭義の意味においては定義をすることも出来る。
例えば、財布を落として落胆している私の「心」とか、「おもてなしの心」といったような前置きが付いていたりする場合だ。

そこで「心の理論」の「心」である。

私はこの「心」は広義の心の意味ではないと考えている。
「心の理論」の「心」は、単に検査をする上で分かり易いからと、付けただけなのではないか。
「心の理論」の意味としては、「他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする」となっている。
これは「心」なのか?
私には違うように思われる。
(また、共感とも違う。)

これは、「自我」の芽生えの問題ではないのか。

長くなったので、次回に続く。
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プロフィール

空海もけ(そらみもけ)

Author:空海もけ(そらみもけ)
ADHDの鍼灸師。面倒臭がり屋でふざけるのが大好き。着ぐるみ脱ぎました。
(詳しくはカテゴリーのプロフィール欄を参照。)

もち
・もち
もけの夫。
背が高くてよく食べる。
お煎餅が大好き。

ゲコ
・ゲコ
近くの川に住む蛙。
よく合いの手を入れる。
留守番もしてくれる。

ポンチン
・ポンチン
もけが実家で飼っているマルチーズ犬。
(本当はふわふわモコモコ。)
一緒に住んでいないが何故か登場する。

※漫画の内容は、事実を元に多少脚色してあります。

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